在北日本人、帰国できないまま死去

数年前の文章です。


 横浜市に住む丸山毅さん(81)は、今年1月、北朝鮮からの電話を受けた。 北朝鮮の北部、清津市に住んでいた姉の節子さんが亡くなったという連絡だった。「姉はいつも、『一目でいいから母に会いたい』と話していたが、かなわなかった」と毅さんは肩を落とした。
 戦前の北朝鮮に、両親と9人兄弟と一緒に住んでいた毅さんは、戦後の混乱で父と姉、妹と別れたまま1946年に日本に帰国した。
 姉の消息が分かったのは1977年。それ以降文通を続け、2005年からは、直接清津に行って、姉と言葉を交わしてきた。
 昨年のストックホルム合意を知った毅さんは「ああこれで、まもなく姉は日本に来られる。もう清津に行かなくてもすむ」と喜んだ。
 ところが、日朝間の交渉は停滞し、帰国も進まないまま、姉は亡くなってしまった。遺骨を引き取ろうと訪朝したが、「3年間は動かさないのが決まり」と当局者から拒否された。
 ストックホルム合意は、日朝の外交当局間で交わされた。北朝鮮は拉致被害者を含む全ての日本人の包括的、全面的な調査を行う。北朝鮮は調査状況を随時通報し、生存者を発見した場合は帰国させる方向で日朝で協議することも盛り込まれた。
 報告書は昨年秋にも出されることになっていたが、ずるずると先延ばしになっている。
 再調査をめぐる日朝間の公式な協議も昨年暮れを最後に行われていない。
 先月訪朝した有田芳生参院議員らに対し、北朝鮮側の担当者は「報告書は完成に近づいているが、まだ時間がかかる」と説明したという。
 拉致被害者の家族からはいらだちの声も聞こえる。「ストックホルム合意を破棄し、北朝鮮への経済制裁を強化すべきだ」というものだ。
 理解はできるが、北朝鮮側がいちおう合意にしたがって報告書の作成に当たっているとしているのだから、待つべきだろう。
 一部では、日本政府が最も重視する認定拉致被害者に関する新しい情報がなければ、報告書を受け取らない姿勢を示しているとも言われるが、節子さんのように生存が確認された人がいたのに、なぜ日本政府が積極的に動かないのか、理解に苦しむ。
 北朝鮮では今年、節子さんを含め4人の残留日本人が亡くなったという。国交のない北朝鮮で生きている日本人がいるのなら、誰であれ帰国できるよう努力するのが政府の責任だろう。待ちの姿勢ではなく、積極的に働き掛けるべきだ。(五味洋治)
 

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