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山崎与次兵衛アーカイブ:グスタフ・マーラー

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これまで30年に亘りWebページ、Blog記事、コンサートプログラムへの寄稿などの形で公開してきたグスタフ・マーラーについての文章をアーカイブ。
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2024年8月の記事一覧

カフカの「審判」について:アドルノを介して、マーラーからの視点

カフカの「審判」について、アドルノのマーラー論における第9交響曲ロンド・ブルレスケのくだりでの参照を 起点に、ここでの議論のいわば対旋律として発展させるための準備として。 注意しなくてはならない。ある日突然理由も無く逮捕され、処刑される。これはだが、現存在の被投性そのものかも知れない。 その一方で、彼は有罪なのか?という問いに対して、ローマ人の手紙のパウロの言葉によって答えてみるとどういうことになるか? あるいはここで「カラマーゾフの兄弟」のマルケル=ゾシマ=アリョーシャ

証言:パウル・シュテファン編の生誕50年記念論集中のブルノ・ヴァルターの寄稿より

パウル・シュテファン編の生誕50年記念論集中のブルノ・ヴァルターの寄稿より(Gustav Mahler : ein Bild seiner Persönlichkeit in Widmungen (1910) p.88, 邦訳:酒田編「マーラー頌」p.94) マーラーの音楽は隔たった時代と場所を超えて届くものの一つだけれども、その音楽の力がそうした距離感をものともしないがゆえに、ある意味では逆説的なことに、 その距離を有無を言わさずに身をもって証言するものは数少ない。時代の

「大地の歌」への参照2件(ジャンケレヴィッチ『死』、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』)

些か意外に思われるマーラーへの参照を2つ。 (1)常にはマーラーが、否定されるためだけに参照される、ヴラディミル・ジャンケレヴィッチの著作において、管見では唯一ネガティブでない参照が『死』(邦訳:みすず書房、仲澤紀雄訳、1978)の第2部「死の瞬間における死」の第3章「逆行できないもの」の9.「訣別。そして短い出会いについて」に確認できる。邦訳では352ページ。 いつものジャンケレヴィッチの調子で、どこから引用を始めたものか、どこで終りにしたものか、決め難いが、ジャンケレ

第8交響曲への言及1件(ジャンケレヴィッチ『終わることなきもののうちのいずこか』)

こちらは如何にもジャンケレヴィッチがしそうなマーラーへのコメントをベアトリス・ベルロヴィッチとの対談『終わることなきもののうちのいずこか』の最終章「XXIX 戸外の光の中で」より。(邦訳『仕事と日々・夢想と夜々 哲学的対話』、仲沢紀雄訳、みすず書房、1982。なお、仲澤さんは訳者あとがきにおいて、原題 Quelque part dans l'inachevé を『どこかあるところで終わりなきままに』と訳されているが、これは私見では「超訳」の類で、仲澤さんのような方にされてしま

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用(Taschenbuch版全集第13巻p.306,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.210) カフカの『審判』は、理由もわからず逮捕され、己の罪名もわからぬまま訴訟を起こされて裁判の被告となり、恥辱だけを残して犬のように「処刑」されていく ヨーゼフ・Kの物語だが、アドルノはそれをマーラーの第9交響曲のロンド・ブルレスケのエピソードについて述べるところで引用している。 それ

アドルノのウィーン講演(1960)より

アドルノのウィーン講演(1960)より(Taschenbuch版全集16巻pp.337--338、邦訳:酒田健一編「マーラー頌」pp.317) アドルノの、これは1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分。歌曲「起床合図」に言及した最後の文章は特に有名だろう。 (これにちなんで言うと、対をなす「少年鼓手」の方は、処刑を前にしてGute Nacht!と叫んで終わるのであって、内容上もまさに対をなしている。また 目覚めているということでいけば、同じWunderho

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より(Taschenbuch版全集第13巻p.309,邦訳『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.214) アドルノのマーラー論の終わり間際の上記の一節は、別のところで既に紹介した1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分ともども、 マーラーの音楽が何であるかを正確に言い当てているように私には感じられる。否、より正しくは、「マーラーの 音楽が私に語ること」が何であると私が感じているかを

証言:シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より

シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.118。 ただしこの邦訳は抄訳であり、全訳はアーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019, p.115以降に「グスタフ・マーラー」というタイトルで所収。) すでにこの講演で第9交響曲について述べた有名な言葉については紹介済だが、ここで上に引用したのは講演全体の冒頭

証言:第9交響曲について:シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より

第9交響曲について:シェーンベルクのプラハでの講演(1912年3月25日)より(邦訳:酒田健一編,『マーラー頌』, 白水社, 1980 所収, p.124。ただしこの邦訳は抄訳であり、全訳はアーノルド・シェーンベルク「グスタフ・マーラー」,『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』, 上田昭訳, ちくま学芸文庫, 2019, p.115以降に「グスタフ・マーラー」というタイトルで所収。) これもまた大変有名な言葉。プラハ講演にはこれ以外にも、第6交響曲アンダンテの主題に関しての

マーラーの「音楽」

マーラーの「音楽」。一見したところそれは自明のものに見える。だが、最初の曖昧さは「の」に存するだろう。「の」の曖昧さは それ自体が更に分岐し、それらのそれぞれについて答えるためには膨大な時間を要するであろう。それでいてそれらはそれぞれ独立の ものというわけではなく、もう一度マーラーと名づけられた或る種の「場」の如きものにおいて相互に作用しあっている。例えばそうした 分岐の一つはマーラー「にとっての」音楽と、マーラー「による」音楽の対立であるだろう。さらに例えば後者の意味でのマ

証言:第9交響曲について:アルバン・ベルクが1912年に妻ヘレーネに宛てた手紙より

第9交響曲について:アルバン・ベルクが1912年に妻ヘレーネに宛てた手紙より(Kühn & Quander (hrsg.), Gustav Mahler : ein Lesebuch mit Bildern, 1982, p.145, 邦訳p.322) 最初にこの文章を読んだのは、マイケル・ケネディの著作―この著作は私が読んだはじめてのマーラーに関する文献だが、実に 素晴らしい本で、この本を最初に読んだのは幸運なことだったと思う―の中でだったが、実はこれには恐らく間違いがあ

証言:大地の歌について:ヴェーベルンが1911年にベルクに宛てた手紙より

大地の歌について:ヴェーベルンが1911年にベルクに宛てた手紙より(Wolfgang Schreiber, "Mahler", Rowohlt, 1971, p.168, 邦訳『大作曲家 マーラー』, 岩下眞好訳, 音楽之友社, 1993. p.249) ヴェーベルンがベルクともども熱烈なマーラー・ファンで、寧ろシェーンベルクの方が弟子に影響されて「改宗」した感じすら あることは良く知られているが、上記の文章は、大地の歌の1911年11月20日のミュンヘンでの初演にあたって

証言:第8交響曲に関するヴェーベルンのことば

第8交響曲に関するヴェーベルンのことば(Kühn & Quander (hrsg.), Gustav Mahler : ein Lesebuch mit Bildern, 1982, p.171, 邦訳p.375) 第8交響曲というのは私にとっては最も大きな躓きの石である。その音楽の持つ力の否定し難さと、その力に対する懐疑が拮抗する。 しかもこの後に続くのは「大地の歌」、第9交響曲、第10交響曲といった後期作品なのだ。その力の大きさに応じて、懐疑もまた深いものにならざるを得

語録:ブルノ・ヴァルター宛1909年初頭ニューヨーク発の書簡にあるマーラーの言葉

ブルノ・ヴァルター宛1909年初頭ニューヨーク発の書簡にあるマーラーの言葉(1924年版書簡集原書381番, p.414。1979年版のマルトナーによる英語版では382番, p.329, 1996年版書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では404番, p.368) 一つ前の手紙の半年後にニューヨークから書かれた手紙。「大地の歌」と第9交響曲の間の時期に相当する。実は「大地の歌」の創作の時期については 異説があっ