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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』を読む

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『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。ジッド『狭き門』の読解。原題「日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ」, 2013.9.15 W…
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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(22)

22. 結局のところ、私が同意できるのは、石川淳の1923年5月の日付を持つ、山内義雄訳への跋である。ここでニーチェを参照するのは全く妥当のことのように 思われる。ジェロームはアリサの生の軌跡を、上記の論者達のような仕方で乱すには忍びなかったに違いない。それが行き着くところがわかっていても、 最後の部分で、現在の時点から回顧してもなお、彼はアリサの生き方を否定しきれないし、自分が「一歩を踏み出さなかった」ことについても 後悔していない。否、寧ろ、彼もまた、かつてアリサが感じ

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(21)

21. 一方、白井健三郎は、フランスのルネサンス以来の伝統であるユマニスムの立場からの宗教批判が主題であるとしている。そうした視点に立つ限り 「狭き門」よりも「田園交響楽」の方に重点が置かれるのは或る種の必然で、実際、白井健三郎は明らかに「田園交響楽」を「狭き門」の発展と 捉えている。こうした文脈では、「狭き門」は「キリスト教的観念による<永遠の生>に対する対決」であり、「人間としての宗教にたいする態度を 決定しようとするものだ」という位置づけになる。白井によれば「神の永遠

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(20)

20. 百歩譲って、ジッドにおいてはいわば定跡のような伝記的事実との対照を取り上げてみても、構図はあまり変わらない。アリサはジッドの従姉で 妻となったマドレーヌ・ロンドーがモデルであるとされるし、マドレーヌの日記が実際に作品執筆にあたって参照された事実もあるようだ。 だが、結婚を拒まずに受け容れたマドレーヌは「幸福」を手に入れただろうか?ジッドはそういう認識をもってこの物語を書いたのか? 他の作品との関連でいけば、別の可能世界でジェロームと結婚したアリサは、後に「田園交響楽

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(19)

19. 若林は作品の解題において、「ほんらい相対的でしかない自己の価値とモラルを、絶対的なものであるかのごとくいつわって、 自他に呈示しなければ生きてゆけないのが、現代人である。」という、まさに自己のものでしかない見解を断定してみせるが、こうした断定、 すべてを相対化してしまい、超越的な価値を拒絶する姿勢が、「すべては許される」に繋がる病根であることには一向に無頓着だ。 その伝で『背徳者』も「自由」という思想のとりこになることで、真の自由を失ったとされるわけだが、こうした評

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(18)

18. もう一点の検討点。folio版には、編集者のノートとして、ジッドがN.R.F.に「狭き門」を掲載するにあたり、最後まで残しながら、 最後になって削除した、幻の第8章冒頭が収められている。この部分の存在は一見したところ、「狭き門」に関して 「徳」という固定観念に殉ずることへの批判という見方を採ることを支持するかに見える。だが、勘違いしてはならない。ジッドは結局この部分を削除したのだ。近年公表された草稿ノートについてもそうだが、そうした作品創作の現場を覗き込む作業は、得

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (17)

17. 中村訳は原文に非常に忠実な訳だが、あっと驚くような部分もかなりある。例えばII.の末尾、Non, non. Je t’aime autant que jamais ; rassure-toi. Je t’écrirai ; je t’expliquerai.の部分で、「安心して」と「手紙を書くわ」の間のセミコロンを無視して、「だから、安心して お手紙を書くわ。」としているので、安心する主体が入れ替わってしまっている。 VII.のアリサとジェロームの書物の関する対話

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(16)

いわゆる「語りの現在」をどう訳すか?例えばIにおけるリュシル・ビュコランの不義の現場に遭遇する部分。 Vous/Tuの使い分け。決定的なのは、VII.のアリサとジェロームの会話の中で、ジェロームによって為されるそれだろう。 Hélas ! je ne l’invente pas. Elle était mon amie. Je la rappelle. Alissa ! Alissa ! vous étiez celle que j’aimais. Qu’avez-vous

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(15)

15. 「狭き門」は「アンドレ・ワルテルの手記」のいわば書き直しである。「田園交響楽」で回帰することになる2つの手帖(ただし「田園交響楽」がしばしば指摘される第一の手帖のみならず第二の手帖も含めて偽装された物語なのに対して、ここでは物語は背景に退いて直接 語られることはなく、物語の登場人物の主観的な反応の記録たる独白や膨大な引用を介して浮かび上がってくるように仕組まれているのだが)に対して、「狭き門」の特質は回想=物語が直接語られること、にも関わらず末尾にアリサの日記が置か

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(14)

14. 一般に思われている以上に、文学作品における間テクスト性というのはありふれた出来事だ。ある作品の持つ固有の圏というのが、その作品の中で 言及され、参照されている他の作品が構成する星座によって浮かび上がってくるという側面は否みがたく、逆にそうした側面を持たない作品、 そうした側面がとりたてて問題にならない作品というのは珍しい。端的に言えば、作中人物が書物を読む習慣を持ち、それがその人物の人格形成に とって本質的な意味を持つように作者が設定してしまうのはごくありふれたこと

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(13)

13 この一見したところ単純な語りを日本語にするのがどんなに大変なことかは、訳者達の工夫を見てみれば明らかである。imaginerというフランス語の動詞を 現在形で使って質問するとき、それは語っているその瞬間の行為についてたずねているのではないことは明らかだろう。「想像するか?」とそのままにするのは 日本語として不自然だからといって「想像している」を使ってしまうと、同時性における継続を含意してしまって、不自然ではないかと思うのだが、それでは 代替案はといえば、「想像したこと

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (12)

12. 私はずっと「狭き門」は山内訳で親しんできたし、原文で読むようになってから以降は、この翻訳が、ジッドの文章の雰囲気を最も良く伝えていると 考えてきたが、それでもなお、幾つかの翻訳を比較するのは、原文を読み取る上で、自分の思い込みや自明と考えている解釈を相対化する上で 示唆的である。ここでは気付くまま、2点程挙げてみるに留めるが、この2点はそれなりに解釈に対して本質的な意味を持ちかねない(絶対に持つ とまで言うことはできないにせよ)部分と私は考えている。 (1). V

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(11)

11. もう一点。ジッドは「狭き門」を書きあぐねて、マドレーヌが若き日に(つまりマドレーヌが丁度アリサのような立場にあった時期に)書いた日記を 見せてもらい、その一部を利用しているらしい。ジッド自身は、ほとんど収穫がなかったような言い方をしているらしいが、それでも文脈を変え、 幾つかがマドレーヌの日記から取られているのは実証できるようだ。しかし、それ以前に、マドレーヌがジッドに送った書簡は、その一部はほとんど 文字通りそのまま作品に取り込まれていること、失望することになった

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(10)

10. 同じ箇所は、アリサの日記と(ジッドがその一部を利用していることが知られている)マドレーヌ・ロンドーの日記とを比較した小坂の論文においても 論じられている。しかし小坂の指摘において重要なのは、それよりもbelle/jolieの使い分けに関するものだ。確かに第1章でジェロームはまず アリサの母をbelleと形容し、アリサ自身には副詞による強調つきでjolieという形容詞を配分したあと、妹のジュリエットに再びbelleを今度は比較表現の中で 割り当てる。だが、アリサ自身が

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(9)

9. 何人かが指摘する箇所。 例えば川口篤は、「『狭き門』で作者が書きたかったもの、書かねばならぬと信じたものは何か?アリサのピューリタニスムという表面のテーゼに対する 裏面のアンチテーゼではあるまいか。」とし、それが上記の「一句に要約されるかと思う。」としている。そしてそれを敷衍して「つまり、人間性の 回復とでも言ったらよかろうか。」とし「『狭き門』は、自己抑制の行き過ぎ、を戒めたものと解したらいかがであろう?」としている。 これとほぼ同じことを淀野隆三も言っている。