バルビローリのシベリウス:第4交響曲 ハレ管弦楽団(1969)
この曲はシベリウスの交響曲の中では捉えがたい、それゆえ様々な解釈を許す曲だと思える。
この曲のバルビローリの演奏を聴いたのは、カラヤンやベルクルンドより後で、最初はやや戸惑いを 覚えたのを憶えている。
この曲は、非常に主観的な内面の音楽としても演奏できるし (ベルクルンド)、その逆も可能だ。例えばケーゲルの演奏では、風景が主観の結んだ像に過ぎないこと、 その向こうには虚無しかないことを思い知らされるのだが、バルビローリの演奏はそのどちらでもない。
もっともそれは当然といえば当