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Minstrel(前)

 【Notice】
この作品は2023年12月23日リリース、酔シグレ 1st Full Album「吟遊詩人の置き手紙」に付随したオリジナル小説です。24曲で1つの物語が完成するこのアルバムは現在前編12曲のみがリリースされており、後編は2023年12月27日リリースです。

 この記事では、前編12曲の物語がお読みいただけます。
前編アルバムティザー動画はこちら↓



「言葉は贈り物なんだ。守り石みたいに、ずっと誰かの大切な支えになるかもしれない物なんだよ。僕は願わくばそれを、音楽と共に残したい。」




1 無個性な風景画

  
 私は、雪が好きじゃない。

 昔は雪に憧れがあった。少しでも積もろうものなら、かじかんだ手で雪だるまを作ったことを覚えている。毎回次の日には、家の前でペシャンコに解ける、雪だるま。
 大人に近づくにつれ、雪は億劫なものになった。電車はすぐに止まるし、地面が滑るから急いでいる時に走れない。寒いし、冷たいし、濡れるし。良いことが何もない。

 どうして子供の頃は、こんなものが好きだったんだろう。色んな物にそう感じてしまうのは、自分の心に余裕がないからだと分かっていた。

 だけど。今初めて私は、雪を綺麗だと思っている。

 ぼんやりした視界に、鮮やかな黄緑色の木々が見えて。上からはらはら落ちるぼたん雪が、頬に当たってじゅわっと解ける。
 地面に付けていた背を、ゆっくりと起こす。目の前に落ちてきた雪の結晶を、手の平に乗せた。音もなく、結晶は崩れて水滴だけが残る。

 儚い命が、美しいと感じる。

「…?」

 改めて辺りを見回すと、見覚えのない森だった。不思議なのは、冬のはずなのに木々には青々と色鮮やかな葉が茂っていること。白い息が視界を覆っているのに、あまり寒くないこと。
 両手をかざしてみた。解けた雪の名残が、つうう…と手首を伝う。湿った赤いカーディガンの袖、足下にはチェックのスカートとベージュのパンプス。この格好は見覚えがある。私が困ったときに着る、量産型チェーン店で買った個性のない仕事服。
 そっと視線を空に向ける。どんよりした曇り空から、白い雪の粒が次々舞い降りる。しばらく、ぼーっと、その風景を眺めていた。どうしてここに居るのか、ここはどこなのか、頭の片隅でうっすらと考えながら。

 どのくらい経ったかは分からない。サク、サク、と雪を踏みしめる、聴き慣れない靴音に視線を下げる。

 向こう側から、大きな雪の塊が近づいてくる…と思ったら、それは人だった。真っ白い衣服を纏った、人だ。髪は短く暗い色で、服装もあまり見かけないマントのような羽織り物。青年のようにも見えるし、ショートヘアの女性にも見える。

 その人影は、私の目の前で止まった。

「…大丈夫?」

 頭上に降り注いだ声は、ハスキーな女の人にも思えたし、少しあどけない青年の声にも思えた。差し出された手は雪と同じくらい真っ白で。その手を取るか躊躇っていると、人影の方がしゃがんで私を覗き込む。

「…濡れてる。いつからここにいたの?」

 私は首を振る。答えられないからだ。見知らぬ人だから警戒しなくちゃいけない、と思う気持ち半分、その人の声は優しくて透き通っていて、悪い人には思えなかった。

 迷った挙げ句、差し出された手を取る。マントの人影はスラッとした外見に反して、存外強い力で私を引っ張り上げた。立ち上がった瞬間、スカートに降り積っていた雪が地面に散る。パン、パンと僅かに付着した雪をはらえば、そっと肩に白いマントが掛けられて。私はようやくその人影と目を合わせる。

 吸い込まれそうな、深い青の眸がこちらを見つめていた。

「向こうにね、街があるんだ。この森は迷いやすいから、君みたいな子は独りでいると危ないよ。良かったら一緒に行かない?」

 切れ長の目は声と同じく透き通っていて、問いかけるその声は温かくて。 初めて会った人なのに、初めてじゃないような気がして。

「…うん」

 久しぶりに発した声は、少し掠れていた。私ってこんな声だったっけ、なんて思いながら。返事を聞いて、微笑んだその人が歩き出す。

 音の少ない、静かな知らない風景の中を。知らない背中について、歩く。

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