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仕事をする意味について考えてみた

昨年から在宅勤務が定着し、そのおかげで家族との距離が近くなった事は本当に有り難いなと思っています。
妻、子供との会話も増えて、日々の様子も知ることができるし、みんなで共有できる物が増えたなぁという感じです。

その一方で、自宅という環境で仕事をする中で、家族との時間で体感する平和なムードから一転、部屋の壁一枚を隔てたところで、ダークサイドな状況に転がり落ちる瞬間も幾度となくあります。
特に昨年はコロナ禍で世の中が混乱し、急に在宅という環境変化を余儀無くされながら、ある仕事を取り組む上でたくさんの不条理な世界、人間関係に直面し、悩みが増えるタイミングでもありました。

会社という枠組みの中で、魑魅魍魎で複雑な人間関係と格闘しながら、忖度しながら、地雷を踏まないように、上層部の意向を汲み取って、それでも何とか結果に結びつけようとする・・・

そんな日々神経をすり減らすような仕事を在宅という環境で続けてきたのですが、そこで、やっぱりふと思いました。

「一体自分は何と戦っているんだろう?」

自分の貴重な時間を捧げ、身を削っているこの行為、それはこの仕事をするためのものなんだろうか?
これが天から自分に与えられた使命なんだろうか? と。
壁一枚隔てた向こうにいる子供の楽しそうな笑い声を聞きながら、そんなことを、何度も自問自答する日々が続きました。

そんな迷いの中でいくつか本も読んだりしたのですが、その読んだ本の中の一つに書かれていた一文に目が止まりました。

「来た時よりも美しく」

小学生の頃、遠足行った時に先生に良く言われた言葉ですが、
いい年の大人になってみて、改めてこの言葉から感じたのは、
生きる上での振る舞い、考え方、それらに一貫して響くフレーズだな、ということでした。
そこから、仕事の目的もそこにあるんじゃ無いかって思えるようになりました。

困難にも直面しながらも、毎月給料を貰えている事、それは何故かと考えたら、 過去、会社の先輩たちが残していったビジネスモデル、仕組みがあるから。
そのモデルが生み出す循環の中で発生した仕事に取り組むことで、収入を得ているから。 
そのベースの上に、私たちの生活が成り立っているということを感じながら、改めて 「来た時よりも美しく」 という言葉に思いを巡らせてみました。

私の後に続く後輩、更には我が子の世代、彼らが安心して取り組めるビジネス、仕組みを残し、広げる事、それが仕事の目的では無いかと。
後の世代の彼らは彼らで、その時代、状況に応じてクリエイトしていか無ければならない仕事があるはずで、それを創り出し、成就させる為には、一方できちんと給料の出る仕組みも無ければならない。
そういった安心を後の世代に残せることが、私たちに課せられたテーマなんだと思えるようになりました。

「自分が入社した頃より、より良い会社なっているか?」

それを自責で考えて、取り組んでみる。
そんな価値観で仕事と向き合えたら、不条理な世界はありつつもそれを乗り越えて、何かを創り、残していこう、というモチベーションに繋がるのかな、と感じています。

組織や人間関係はコントロールできないし、変わる事を期待しても意味がない。 
自分に与えられた時間と能力を使い果たせる動機を持ち、腹落ちさせて取り組む。

「自分の足跡を残して、広げる」

そんなことを小さくもできるだけ多くやりながら、
今私は自分の人生を生きているんだ、という実感を持って、前に進んで行けたらなと思っています。


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