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生まれ育った場所

山と田畑に囲まれた田舎
先祖代々その土地で暮らしてきた
祖父母は米や野菜を作ってきた
昔は養蚕もやっていたらしい
米や栗を売っても大した収入にならない
祖母は工場に働きにいったりもしていた

祖父母の子どもは3人いて、末っ子長男として生まれた私の父が家を継いだ。
父はよく貧しかったから大学費用は自分で稼いだと言っていた。

家の目の前に田んぼがあると、梅雨は蛙がうるさくて仕方がない。外では電話ができない程。山に挟まれていて日当たりがそんなに良くない。虫は大量にでる。ムカデもヘビも。
でも四季折々の草木が茂り花が咲き誇り美しくてのどかで嫌いじゃなかった。

あ、でも小学校まで片道3km歩くのはしんどかった。友達とも途中までしか一緒に帰れない。1人の時間が長かった。それも別に大したことじゃないけど。
スニーカーが一足しか買ってもらえなかったから、替えの靴がなくて、雨で濡れたら次の日も同じ靴を履かなきゃいけなかったのが嫌だった。
朝早く雨が降ってすぐやんだ日は、家から学校が遠い私は一日長靴だけど、ほとんどの子はスニーカーだったりして恥ずかしかった。

通学や帰宅途中に人に会ったら、必ずおはようございます。さようなら。を言わなければいけなかった。
親のために。祖母のために。
たまに「おかえり」と言ってくる大人がいて嫌だった。他人だしまだ家に帰ってもないのに「ただいま」とは言いたくなくて、でも無視もできなくて困って仕方なく、噛み合わないけど「さようなら」と言ってやり過ごした。
家の近所は特に素行に注意しなくてはいけない。
道端に姿が見えなくとも、家の中からだって誰にいつ見られているか分からない。
田舎の過剰な監視と噂話はとても恐ろしい。

祖母は世間体をとてもとても大切にする人だった。失礼があってはいけないのはもちろん、秀でてもならない。目立つことは何一つしてはいけない。妬み嫉みの対象になるから。嫌味を言われかねないから。自分のことは常に下に下になるように自己卑下しなくてはいけない。褒められても真に受けてはいけない。反対によそ様は褒め称えなければならないし、ご機嫌であるように奉らなくてはいけない。身内のことは悪く言って、よそ様はとても良く言う。自分は如何に苦労しているか人より劣っているか表現し続けなければいけない。
私がどこそこのだれだれと遊んだとか友達になったとか気軽に話したら、それが祖母のお眼鏡に叶わなければ注意される。
家柄の悪い子とは付き合ってはいけないと。

とにかく面倒くさいったらありゃしない。
うるさい!黙れ!私の友達を悪く言うな!もっと自由にのびのびやらせろ!
とか言えたら良かった。
でもそんなこと言えるわけもなく、当時は言おうとも思えなかった。
逆らうことは許されない。
ただ黙って受け入れるしかなかった。

両親は共働きで、私が1歳になる前から祖母がずっと面倒をみてくれていた。
夕飯もだいたい祖母が作ってくれていた。
祖母は昔から腰が悪くていつも痛い痛いと言っていた。自己犠牲しながら育ててくれていた。育児も家事もかなり祖母に頼っていたから、両親は祖母にとても感謝していたし、負担をかけていることをよく申し訳なさそうに悪いね〜と言っていた。
両親は私や妹たちに、おばあちゃんの言う事を良く聞くように、自分のことは自分でやるように、手伝えることは手伝うように、と言っていた。

こういう日常生活が日々繰り返され、幼い私の中には田舎の暗黙のルールや家庭でのルールが刷り込まれていった。

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