春化粧
今年は桜が咲く時期が例年より少し早くて、今週半ばまでが見頃らしい。なんだかあっという間にどんどんと咲いて、すぐに散っていくようだ。
そんなに急がなくていいのに、咲急いだところで何も良いことなんか無いのだ。もう少しだけ待っていてほしい、もう少しだけ。
たまたま時間が空いたので、1人で来てしまった。きっと今年最後だろうか。 思ってたよりも人が多かった、思わず今日を日曜日だと錯覚してしまった。
そして今日は本当に天気が良い、風も強い。今日が最後だということは皆わかっているのかもしれない。
分かってはいる事だった、こんな事をしても寂しさが加速していくことは。
桜の花言葉に寂しさが無い事が不思議でしょうがない。
桜が咲くことを寂しさに例えたい。桜が咲くことは、きっと寂しい事なのだ。
この類の寂しさを、人間の何割が理解出来るのだろうか。
美しい、綺麗だと思う、思う筈なのに、それには何処か心が傷む、古傷が蘇るような感覚に陥る。
そして散り際の一秒まで最後まで美しさを保ったまま終わっていく。死ぬ時もこのように在りたいと思う。
死んでいく事、忘れていくことを夜に例えたい。
人生の夜は誰にでも訪れて、誰もが忘れられていく。 そうなる事がわかっているのなら、ひとつでも多く生きていた証拠を残そうとする事は、きっと人間の本能に近い。
俺は常に寂しさがある。
椿が丁度落ちていた、落ちていく様はまるで踊っているようだった。
そして道路が花弁で覆われている様を俺は春化粧と呼んでいる。
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