展覧会を作る|吉岡雅哉個展
吉岡雅哉個展を、11月10日から開催します。
みんなのギャラリーでの吉岡個展は、今年7月以来の開催となります。
数か月の間隔で個展を開催することは、作家さん達にとってはそれほど珍しいことではないと思いますが、同じギャラリーでの開催というのは珍しいケースかもしれません。
短い間隔で開催することは、時間的な余裕がなくなるという意味で難しさもありますが、作家の活動に合わせた良きタイミングを考えたうえでのことならば、それもひとつのスタイルではないかと。なので、夏に続いて秋という短いスパンでの個展開催というのは、吉岡作品に合うスタイルなのではと私は思います。
合うと思う理由は色々あるのですが、
ひとつには、吉岡の描く作品世界を一つの大きな物語として見てもらうためには、この間隔での開催が合いそう、ということがあります。
吉岡が日々どんな絵を描くのかは、予測不能なところがあります。
作品ごと、またシリーズごとに、それぞれ違いがありますが、一見すると異なる印象でも、全体としては、ひとつの大きな物語におけるイメージとして、それぞれの作品を捉えられるのではないかと思うのです。
年代も作風も異なる作品を、一つの空間に混在させながら、全体を一つの物語として提示すること。そしてその大きな物語が、動き続けている様子を提示すること。前回と今回の展示も、やはり繋がっているように見てもらいたい。そのため、季節(シーズン)的な間隔が一つの開催のタイミングとして合うのではないかと考えたのでした。
だとすると、開催スパンを短くするだけでは足りなくて、前回の展示では何が起こっていたのか、ということも見れるようにしなくてはと思いました。
ということで、前回の個展内容を、画集としてまとめ、今回の個展で見てもらえるようにしようと考えました。
先ほどから書いております、ひとつの大きな物語、についてですが、これはあくまで、私が吉岡作品をそのように捉えているという話でありまして、けして作家本人がそう語っているわけでも、他の方の見方をそのように固定したいわけでもありません。
ただそのように捉えると、自由な見方がむしろできるんじゃないかな、と思ったのです。
何しろ、20年以上続き、いつまでも完結をみない、現在進行形の物語です。
それがどんな物語なのかは、誰も分からないし、言えません。けれど、個々の作品は、どれも一つの世界の中で起こったことが描かれていて、物語に何かしら関係している。そう思うと、なんだかとてもワクワクしますし、見る人それぞれが見出した物語の断片をつなぎ合わせることもできそうだなあと思うのです。
そういえば、私も物語に登場していました(笑)
吉岡作品に筋書というものはありませんが、それでもあえて筋だった見方ができるとすれば、それが作品のタイトルということになるのではないかと思います。
とはいえ本人は、作品によっては自分が付けたタイトルではない、という言葉を残しているので、あくまで物語目線で見ようとしたときに、そう見えなくもないくらいのことではありますが、吉岡が時折口にする「描かされている」という表現は、絵を描くときの方向性に対して自分ではない何かしらの力が働いている感覚があるというようにも聞こえ、とても興味深いことだなと思います。
タイトルについてももう少し説明しますと、吉岡の作品は、作品タイトルがシリーズ名のようになっている作品が多くありまして、例えば「思春期」というタイトルの作品がありますが、同一タイトルの作品が複数存在します。
それぞれの「思春期」作品を見ていけば、繰り返し描かれるモチーフがある一方で、異なる風景や登場人物が出てきたりといったこともあります。それぞれの作品に違いがあることから、一つのシリーズ内で物語的な展開があるように見ることができるのかもしれません。
では他のシリーズ同士はどうかというと、同じ作家が描いた作品だと思わなかった、という声を時々聞くことがあるのですが、一見すると作風や世界観が異なります。
「西海岸」というシリーズがあるのですが、この「西海岸」シリーズと「思春期」シリーズは、例えば同じ監督が作った異なる映画、のような関係性として見えるのではないかと思います。
同じ監督が作った異なる映画、とは、これまで自分自身がそういう目線で見ていたということなのかもしれないのですが、自分の中では徐々に、シリーズ毎に世界が分かれているのではなくて、全てが同じ世界の一つの物語として繋がっているのではないかと思えてきたのです。
ギャラリーではこれまで、吉岡の展示を「年代」と「シリーズ別」の要素を意識して、その幅広さや多様さを展示のポイントにしてきました。展示空間はそのため、どこか混然とした空間になっていました。
ここでは、過去約20年間に制作した作品と新作が並んでおり、複数のシリーズを網羅しておりました。
そのような、「年代」幅広さと「シリーズ別」多様さを意識した展示を行ううちに、要素として考えていた部分が溶け合い、徐々に全体が一体化していき、最終的には一つの大きな世界として繋がっているように見えてきた、という経緯です。
そう捉えるようになってからは、それぞれの作品で描かれるシーンは、前後に何らかのストーリーがあり、一見するとそれぞれのシーンとシーンが繋がっていないように見えても、実はその間を繋ぐ、未知のシーンが存在する、あるいはこれから生まれるのかもしれないなと思うようになりました。
と、私の妄想めいた話になってしまいましたが、
少なくとも、吉岡が制作してきた期間は20年を超えていて、もちろん現在も制作は続いているのであり、これまでの作品を一つの物語を見るがごとく眺めると、これはもうかなり壮大で、ワクワクするのです。
けれど、繰り返しになりますが、それがどんな物語なのか、なんてことは、誰も分からないし、言うことはできません。
昨年の春に、作家と出会って以来、私がこれまで見てきた彼の作品は、全体のほんの一部でしかないことが、今に至りよく分かりました。(もっともっと時間が欲しい!)
まだ見ぬ彼のこれまでの作品や、これからの作品に対して、向き合っていこうとしている今の私の心境が、大きな物語、その扉を開いたときのような感じで、こういう言葉になっているのかもしれません。
最後に作家の言葉を紹介すると、まさに自分なんてそうだなと反省するのですが、ここまでの話は、展示をご覧になる方々とも共有したいなと思い書いたことなので、あくまでギャラリーの一つの見方としてお読み頂き、また作品をご覧になって思ったことなど、会場で聞かせてほしいなと思います。
吉岡雅哉 来し方行く末 SEASON 1 | 2023 AUTUMN
2023年11月10日(金)~19日(日)
12:00-19:00
休廊:11月14日(火)
自己模倣あるいは反復的なスタイルから、夢と現実が渾然一体となった世界を描く画家、吉岡雅哉の現在地を紡ぐ、シリーズ個展第1弾。
本展は、作家の最新作を中心に、2010年代以降やそれ以前に制作した作品を加え、吉岡の描く予測不能な世界の物語をお届けする展覧会です。
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