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ねこ様と人間教育 〜待つことのトレーニング


ウチの猫が逃げた。

昨年秋、実妹が仕事場の倉庫の隙間に挟まっているところを救出した、キジシロの元子猫である。

そのとき一緒にいた兄弟猫は残念ながら助からず、母親も救出を諦めて立ち去っていたそうで、その絶望はいかばかりだっただろうか。

幸い1匹は助かり、その行き先として、既に猫が4匹いたウチが手を挙げて、里子に来ることになったのである。

だからだろうか、警戒心が強い子で、いまだに自分には懐かず、階段の上のほうにいる時にこちらと出くわすと、つい最近まで右足をバン!と下段について毛を逆立て、猫には珍しい白目がちな目をさらに細くして、フシャアアァ!と上から全力で威嚇していたくらいである。うちに来た歴代の猫の中でも、かなりキャラの立ったタイプだ。

ただ、我が家の女性2名にはさっさと懐いて、好奇心いっぱいのところを見せていた。自分は楽しげにその猫と遊んでいる音を、はたで聞くばかりであった。

だがそのうち、息子もその猫に要求されるがままに、階段にスーパーボールを投げる遊びに付き合っていたら、スーパーボール投げ男として認識されたらしく、出会うとボール投げ待機姿勢を取るようになった。

なので、自分も何かで遊ぼうと思い、床置きのハンモックの横で携帯の充電ケーブルを動かし猫釣りをしていたら、意外にあっさりとじゃれついた。
そして晴れて猫釣り男として認識され、自分がハンモックに寝ていると、こちらの手が絶対に届かない安全距離をとりつつも、ビクター犬のようなポーズで、ケーブル動かし待機するようになった。

とても小心者ではあるが、それでもなお好奇心に負けるタイプであるようだ。

そんな風に、自分ともようやくわずかながら関係改善の兆しが見えていたところであったのだが、そんな猫が逃げてしまったのだ。

2階の網戸が、致し方なく半外飼いになっていたお隣からの預かり猫(お隣で懐かないとして外飼いになっていた保護猫がなぜかウチに居着いた)によって、あろうことか外からこじ開けられており、その元子猫はまたしても好奇心に負けて、そこからふらっと出かけてしまったようだ。

逃げた初日は、母屋の軒下とかぶる、こちらの倉庫の屋根の上の方で、まるで母親を呼ぶかのように鳴いていた。しばらくそこから逃げないでいるかなと思ったのだが、翌々日にそこから離脱。
その後数日は庭に姿を見せていたりしたのだが、1週間経った現在は、近くにいるのかいないのか、よくわからない状況になっている。もともとあまり鳴かない猫なので、外にいてもすぐわからないのだ。

かといって、自分が探しに行ったら、仮にそばにいたとしても間違いなく逃げてしまう。


なので、家の裏などにも餌を少し入れたお皿を置いていた。

そしてそれに釣られたのが、残念なことに疥癬で毛が抜けた野良タヌキであった。疥癬は猫にも伝染るため、丁重にお引き取り願うとともにその作戦は中止となった。

でも、似た顔の、しっぽがフサフサしましまの奴らが来なくてよかった。あいつらは一家総出でやってくるし傍若無人なので、臆病な猫は逃げてしまうだろう。

そして、今は玄関の横の荷物置きの台の上に、その猫が格別好きなおもちゃであり、好きすぎて腹わたまで引きずり出して分解されるのが常だったネズミちゃん(3代目)を、台の下に隠したカリカリご飯と一緒にちょこんと置いて、ここはお前の家だよと知らせているつもりである。

どんなに心配していても、いま自分のできることと、力の及ばないことを区別して、待つしかないこともあることが、あの自由気ままな動物と付き合っていると否応なく知ることになる。
何とかしようと必死に動くことが、実はその相手のためではなく、自分の不安を打ち消すために過ぎないことがあることも、である。

おせっかいをしたいその気持ちが、自分が楽になりたいという下心からくるとき、それは、えてして相手に見透かされてしまうものだ。

何もできることがないとき、相手を待つことのできる強さというものを、自分はあの動物に教わっているようにも思える。そしてその能力は、ケアという領域ではたぶん必須とされるものだ。


今日もそんなことを考えて、雨滴る昼下がりに自宅に戻ったとき、玄関ドアの前にネズミちゃんが落ちていた。なぜか台から転がり落ちていたのである。

だが残念ながら周囲に猫の気配はない。なので再びネズミちゃんを台の上の定位置にそっと置いて、また仕事に戻った。

そして、この雨の中、濡れないところにいてくれよと思いながらも、今晩もあの素っ頓狂な猫が戻ってきた気配はないかと耳を澄ますのである。

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