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帰ってきたセンメンダイ 〜やらかしの記録⑤


「洗面台、あれでは使えないとのクレームです」

工事が終わって10日も経ったタイミングで、ご請求を上げたあとでの、そんなケアマネさんからの連絡に耳を疑わなかったか、と言われれば嘘になる。結構強い調子で言われたようだったし。

片麻痺の利用者さんが老健から退所されるのに合わせての、トイレや洗面台の改修のご依頼だった。もともとは、両股関節症が悪化し、手術を受けたあと、歩行が不安定だった奥様の相談でもあったのだが、回復途中で夫が脳出血発症し、退院後に老健に入所中。
そこでいろいろな改修を考えて他社さんにも相談しているが、納得できない見積なので、他の会社にも相談したいとのことで、お付き合いの深い福祉用具屋さんよりご連絡を頂いたのだった。

退院・退所に合わせた住まいの環境整備として相談を受けるケースでは、各施設のリハビリ担当の家屋調査が入ることが多い。ただこのケースはそうではなかった。なんとなくそちら側とコミュニケーションが取れないケースだなとは思っていたのだ。ところが、実は家屋調査については、奥様がそれは里心がつくから残酷である、やめてほしいと伝え、見送りになってしまったとのことで、ちょっとその時に不思議な話だな、と思ったのだ。

そして洗面台については、現状は下に収納があり車いす利用が難しいため、車いすでの利用ができるものに換えてほしい、とのことだった。
ただ、こちらとしては片麻痺の状態も正確にわからない、身長がわからないから使う車いすの座面高さもわからない、アームサポートの形状もわからない、正直言って情報がなさすぎる。
なので、どういった形になっても対応できる、ボウル部分の昇降機能のついた、当時は定評のあった洗面台をお勧めし、ご了解をいただいていたのだ。

右のパドルで洗面台高さが上下します

そして、設置工事が終わって退所に備えていたときの、奥様のこのセリフである。そもそも誰ひとり、まだそこで車いすを使ってすらいないタイミングでこう言われたわけだ。何でも、老健で洗面台の高さを計測したらこの洗面台では使えないことが分かった、という話であった。

そもそも、一般型の車いすでは、洗面台の前でのターンは厳しいと思われる。なので、老健の理学療法士とも情報を共有し、こちらは介助用の6輪車いすを想定しているとお話をしていた。施設で利用中の車いすで計測されても、ということもあり、福祉用具屋さんの協力を仰いで、実際に6輪車いすはこう動いてこう入る、ということまで、実際にやってみて説明することとなった。

ターンも、車いすの差し込みも大丈夫、のはず

そして、関係者はそれが使えることを確認した。ただ一人を除いて。
だが、こちらとしても車いすが使えないから工事費は支払わない、と言われても困る。使えるのだし。でも奥様の主張は取り外してもとに戻して、の一点張りである。

というわけで、最大限の譲歩をし、撤去作業はこちらで行うこと、材料費と取付費相当分はご請求すること、撤去した洗面台の所有権はこちらに戻すこと、で誓約書をいただき、関係を断つこととなった。
ここまで設置から40日、正直関係者はもう疲労困憊であった。ケアマネさんなどはこの件のあと、退職された。本当になんと言っていいか、言葉がないという気持ちをその時、味わった。


だが、時間が経つとわかることもある。

自分の身体が不自由になり、そのときに頼り助けられていた夫が、今度は病のために身体が不自由となり、立場が逆転して自分が助けなくてはいけない。そして、老健の退所まで時間が区切られた状況で、夫は一日も早い帰宅を楽しみにしている。

そんな状況で、自分に片麻痺の夫を介護する自信など、果たしてあっただろうか?


そんな状況で、我々は、夫が退所することを大前提に、その妻がどう考えているかをたいして想像もせず、

「車いす使えますよ、退院しても奥様の介助で暮らせますよ」

と、言っていたのだ。そこに集まった、介護関係者すべてが。


もしかしたら、奥様がそのとき望んでいた言葉は

「慣れない奥様では自宅での介護は難しいですね」

という言葉だったのではないか、今ならそんなふうにも考えられるのだ。


自宅に戻ることを心待ちにしている利用者の、帰宅への期待や願いが大きければ大きいほど、それを受け入れる家族の負担感は表に出しにくくなる。そんな心の動きを、支援に関わる人間は汲み取るべきだったのではないだろうか。

なので、介護の学校で話す事例に、この話は常に入れている。退院を受け入れる家族も話しやすい状況を作ることや、追い詰めないような計画案(施設入所の検討や、ショートステイ、レスパイトケアなどの説明)もあることを伝えること。そんな教訓を得た、10年以上前の事例でした。

※追記

取り外した洗面台は、2年くらい倉庫の肥やしになりましたが、希望小売価格の7割引きで新古品として受け入れてくれる方が見つかったことで、ようやく損失をカバーできたのでした。ありがたや。


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