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莫微の名前 〜湘南改造家のネーミングヒストリー


「しょうなんかいぞうやです!」とお電話した先で、介護屋さん…ですか?と尋ね返されることが、たびたびある。

いえ、住宅改造をしているのでそのまんま改造家なんです・・・などと言い訳風味で説明したりするのだが、そこでは長くなるので伝えられない、なんでこんな社名にしたかという理由はふたつある。

ひとつは、漢字で読んで何をやっているかわかりやすい社名にしたかった、ということ。

意味がわかるようでわからないカタカナの社名など、リフォーム詐欺屋と区別がつかないじゃないかという気持ちもありつつ、高齢の方を対象にした仕事をする以上、わかりやすさ必須と思ったからである。

地域、業種、それに家、わかりやすい!と自分では思ったが、あまりにも改造という言葉のニュアンスが広すぎて、よくわからなさがあるのも、わかる。でもちょっと変な名前の方が、より皆様の記憶に引っかかってくれるかな?と思っているので、これはこれでいいと思っている。


もうひとつの話はインドに飛ぶ。


自分がまだ何者でもない、でも仕事先が決まった頃だったか、初めて海外に出かけた。目的地はインド、デリーからチャンディーガル、ジャイプル、アーメダバード、アーグラ、カジュラホ、コルカタといった街である。

まずは成田からバンコクに飛ぶはずが、いきなりオーバーブックで席がなく、200ドルのクーポンと引き換えに成田からソウルの金浦空港に飛び、見送りに来た当時の彼女は他人しかいないバンコク便を見送らされたり(将来が暗示的である)、バンコクからデリーにはロシア人だらけのアエロフロートの宇宙船のような内装のツポレフに乗り、着陸の時にみなさん真顔で大拍手していて、そこでロシアの恐ろしさを初めて味わうなどしたことがフラッシュバックされたが、それはさておき。

アーメダバード(アフマダーバード)にて、いくつかの建物を見て歩き、さすがに歩き疲れて、サバルマティー川のほとりの最後の目的地が、ガンジーのアーシュラム(修行場)だった。


そこにはチャールズ・コレアという建築家による記念館が併設されており、そこで例の糸車やら何やらを見つつ、子供の絵手紙みたいな展示になんとなく惹かれて、それを眺めていた。そこには、彼の教えをイラストにした絵と共に、いくつかの言葉があった。
その中にあったのだ、これが。


"Think globally ,Act  locally”

それまで、主語の大きそうなことを考えては、自らの取るに足りなさとの平仄のとれなさ加減にうんざりしていた自分にとって、これはありがたい言葉であった。

なんだ、大きいことを考えて、小さくやることはアリなのか、むしろ正攻法かもしれないのか、と思えて、それ以降の自らの動き方の指標みたいな存在になっている。


その後、そのアーシュラムをどことなく思い出す、パーゴラ屋根の市役所を設計した事務所に潜り込んで仕事をしたり、地元に帰って現場監督をして、足の裏についた米粒と言い習わされる資格を取り(傲慢な言い方かもしれないが、自分にとってはまさにそう)、また設計事務所勤務に戻ったのちに、30代前半に地元密着での独立にはどんな隙間があるか?と考えた。

たまたま看護師だった母がその頃に介護教員をやっていたことで、介護保険なる新制度や、様々な住まいの改修の必要性や試みを知ることになり、そのための知識を得るための伝手もあったりしたことから、手すり屋をやろうと考えたのだった。

あと、需要が減らなそうという現金な理由もあったかな、高齢化率の推移を考えると。


そして、その屋号を考えていたとき、冒頭の話から漢字で「改造」という文字を使うことを考え、そこに当時この辺りで人気に火がつき始めたラーメン屋風に、「家」をつけて並べてみたのだ。

改造・家

これが本来の意味の並びだが

改・造家

こういう風にも読めるな、と思ったとき、
明治時代にarchitectureという単語に対して「建築」という言葉が当てられる前、「造家」という単語が使われていた話を思い出したのだった。

そうか、これはarchitectureを改める、塗り替えるような意味合いを隠し持つのか、それはグローバルに考え、ローカルにやる仕事にぴったりだな、と気づいた。
そして、周辺人口50万人くらいの範囲で細々とやる業態ならなんとか生きてはいけそうだ、と見立てて走り始めたのであった。

そもそも、住まい手の身体に合わなくなり、お互い両思いなのに手放される家も可哀想である。ちょっとしたことでその隙間が埋められるなら、人生の最後の一幕を、気分良く過ごせそうではないか。

スクラップアンドビルドが当然になった建築業界に対してこういう方向性の仕事を提示することは、いまの建築に対しての異議申し立てとしても、面白いなと思ったのだ。



残念ながらスモールビジネスであることはそのまま、いまだにカツカツな商売ではあるのだが、そんな壮大な野望意味を隠し持った社名で、手すりの1本から世界をほんのわずか変えたい、変わると信じつつ、今日も手すりを自ら、そして職人の手を借りて付けております。

皆様、改めてどうぞよろしく。


ちなみにタイトルは、めちゃ微か、という意味の造語で、莫大の反対のつもり。
画像はウチの事務所の外手すりです。


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