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今日の「わたし」はどこにいる?

1月6日、朝日新聞と日刊ゲンダイに宝島社の30段広告が掲載されました。宝島社は、1998年から痛烈な社会へのメッセージを意見広告の延長として、楽しませてくれています。

「男でも、首相になれるの?」

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■キャッチ 
  男でも、
  首相に
  なれるの?

■ボディコピー
  ドイツで、は子どもたちからこんな質問が出るらしい。16年間、女性  
  が首相を務めた結果だ。何だか痛快な気持ちになるのはなぜだろう。
  人類の間にはびこるつまらぬ上下関係が、鮮やかにひっくり返されてい
  るからだろう。わずか16年で、常識なんてぱっと変わる。さあ2022
  年。ちょっと上を見上げてみる。次のガラスの天井は何だろうか。変わ
  りそうで変わらない働き方改革だろうか。いまだにはびこる長老政治だ
  ろうか。ほんの少しでもひびが入れば、ガラスはもろく壊れてゆく。

表現こそが思考

宝島社メッセージは「ジェンダー」という難しい課題も16年かければ解決できると伝えてくれました。導きとしては、弊社がセンスメイキング理論で活用している「あまのじゃくキャンパス」手法を活用し、違和感を探りだしゆらぎを与える"知の組み替え"を行っていました。

違和感はまず「身体知」からスタートします。右脳から、このキービジュアルである「ドイツのメルケル前首相が手を前に組む仕草と独特のファッション」をみるのです。メルケルという"メタファー(比喩)"が組み込まれたことで、この広告を見た人間には"アナロジー(類推)"→"ジェンダー"と、左脳を働かせることができるでしょう。

私が考えるに表現こそが思考です。これがセンスメイキングの「人を動かす為」のプロトタイピングの最終目的となると言えます。

自分と向き合うこと

「男でも、首相になれるの?」という"あたりまえ"を反転させた"あまのじゃく"メッセージは、16年間あればジェンダーなんて問題にならないということ
だけではなく、我々の生き方や存在が問われているとも感じました。

"あたりまえ"という思い込みの概念をあえてひっくり返し、自分と向き合い、自分を見つけ、生き方を変える。それは、いま必要になっている根源的なテーマ「ブレイクスルーマインド(Break through mind)」が問われているのではないでしょうか。

柔らかな「わたし」

我々は時として「日本人だから」とか「男性だから」とかなり乱暴な捉え方をしてしまいがちです。しかしながらここ示している「わたし」という存在は、いつでも複数のカテゴリーを持ちながら場面場面でふさわしいカテゴリーを使い分けしているのです。故に、一つのカテゴリーに括ると現実性に乏しくなってしまいます。

もう少し噛み砕いてお伝えすると、先生である「わたし」は必ずしもいつも先生ではあるわけでないし、学生の「わたし」も、常に学生として振る舞ってはいません。状況によって「わたし」が何ものと認識されるかは変わってくるのです。

「わたし」は世界の中でたった一人の存在です。女性だとか男性だとか、日本人だとか、外国人だと一般化されません。複数の役割を演じている唯一の「わたし」です。人生で出会った人のカテゴリー中で、性別、国籍、年齢などから抜け出して、"自分を溶かす、耳を傾ける"ことで、真摯に相手と向き合う時間を重ね、時として知的コンバットをしながら、別の柔らかな「わたし」に生まれ変わりませんか。

終わりに

「男でも、首相になれる?」という宝島社からのメッセージは、単にドイツの例というだけでなく、自身の「わたし」を柔らかく捉えることによって、2022年に自らの変化を促すことを覚悟できますか、と問いただした広告だったのではないでしょうか。

(完)
*扉写真:©️Forbes