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北京五輪を観ながら「鬼滅」兄妹について考えた。

17日間に渡った冬のスポーツ祭典、北京オリンピックが閉幕しましたね。選手の皆さん、大変お疲れ様でした。日本選手団のメダル数は金3、銀6、銅9の計18個となり、過去最多だった前回平昌大会の13個を更新したそうです。

個人的には、大活躍した"兄弟姉妹"選手について注目しておりました。
- スキージャンプの小林陵侑兄弟
- スノボードハーフパイプの平野歩夢兄弟
- 女子カーリングの吉田知那美姉妹
- ノルディックスキー複合渡部暁斗兄弟
- スピードスケート高木美帆姉妹

など、東京夏季オリンピックの時は、柔道の阿部一二三と詩の兄妹の存在が取り上げられましたが、今大会ほど日本代表のメダリストに兄弟姉妹がいたことにはあまり記憶がありません。

冬季が特に顕著に現れるということは、何らかの要因があるのでしょうか。今日はそんなアスリートとしての"兄弟姉妹"関係について考えてみようかと思います。

出身地 

1つめの視点、出身地について考えてみましょう。

小林陵侑の出身地 岩手県八幡平
平野歩夢の出身地 新潟県村上市
吉田知那美の出身地 北海道北見市
渡部暁斗の出身地 長野県白馬村
高木美帆の出身地 北海道中川郡幕別町

こうして並べてみると冬季オリンピックで選手は「北海道」や「東北エリア」が多いように見受けられます。ここにはなんらかの地域性が起因しているのでしょうか。

共通しているのは、日本のいわゆる都市型生活をしていないこと。ライフスタイルや家族意識などが、異なるのかもしれません。また、冬には雪閉ざされた環境にあったこと。彼らは,通学に学校まではかなりの遠距離にあり、足腰の鍛錬をしながら、兄弟で歯をくいしばってきたことが推測されます。

親の職業

次に、彼らの親はどんな仕事をしているでしょうか。

小林陵侑の父親 中学校教師
平野歩夢の父親 スケートパーク運営
吉田知那美の父親 ホタテ漁師
渡部暁斗の父親 無職(過去には、白馬スポーツホテルツリーを経営)
高木美帆の父親 農機メーカーの会社員

共通点は"地域に根差している仕事"であって、失礼を承知で言及すると高収入であったり、裕福なイメージが浮かびません。

これら2点から導き出せる仮説として、世界から凌ぎを削って見事な成績を納める背後には、「日本独自の風土と家族関係」があるのではないかと推察されます。

考察1- 従来の日本の家族構造 -

フランスの歴史人口学者で家族人類学者のエマニュエル・トッドによる"家族構造分析"に関する著書の中で、以下のような指摘をしています。

「我々フランス人は,ドイツ人や日本人とは,文化が国や地域で大きく異なる。それぞれの経済的適正も異なります」
「家族社会学で、直系家族と呼ばれる家族形態があります。長男を後継ぎにし、長男の家族を両親と同居させて兄弟姉妹を長男の下位に位置付ける農村家族システムです。(中略)長年培った権威、不平等、規律という価値、つまりあらゆる形におけるヒエラルキーを現代の産業社会に伝えました」
「日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も似ており,経済的にも非常に類似しています」
( エマニュエル・トッド著「ドイツ帝国が世界を破滅させる 日本人への警告」P157/ 文藝春秋)

この指摘から、何やら日本の家族構造(かつ旧来の)がこのメダリストを生み出す背景に内在している、かもしれないと感じます。

考察2 - 格差拡大の規模とスピード -

同様にトッドが、イギリスの経済学者アンソニー・アトキンソン(「二十一世紀の不平等」)とフランス経済学者トマ・ピケティ(「二十一世紀の資本」)との研究結果から格差拡大の規模とスピードに違いがあることを指摘しています。

「日本の場合は今や日本回帰の時期を迎えています。日本人は、ヨーロッパのあずかり知らぬところで,自律的な発展を遂げた江戸時代を懐かしんでいます」
(エマニュエル・トッド著「問題は英国ではないのだ、EUなのだ」P22 / 文藝春秋)

このことについて、兄弟姉妹が同じ競技を闘う姿の中に、我々日本人がグローバリゼーションに対処しながら、日本人として再建の力を見出しているのではないか、そんな風に私は解釈しました。

考察3 - 儒教的家族制度 -

日本における家族法学の権威者、川島武宣氏が著書で以下のように語っています。

「日本の家族制度とはなんであるか。我が国の家族制度は、儒教的家族制度論であり、我が国で家族制度の美風が解かれる時には,ほとんどいつも決まって,儒教的家族倫理が解かれてきたことである。」
(川嶋武宣著「日本社会の家族的構成」P5/ 日本評論社)

川島氏の指摘する儒教的家族倫理が、前述のトッド氏が論じている"日本人に内在する江戸時代からの独自な発展"を支えたのではないか。今回の冬季オリンピックのメダリストの兄弟姉妹の中に、私は我々日本人の家族主義の原点を見出しています。

まとめ

アスリートの兄弟姉妹関係について読み解いている間に、気づけば日本が旧来からもちえてきた家族構造についてまで発展してしまいました(苦笑)。最初に考えてみた出身地という視点についても「旧来の」という意味において非常に重要であることも然りかと感じます。

ここでもう少しだけ、まとめ代わりに話を発展させてみましょうか。 
皆さんもご存知、「鬼滅の刃」は、一昨年からアニメ界だけでなく社会現象にもなりました。今回考えてみた関係性について当てはめてみると、あの竈門炭治郎と竈門禰󠄀豆子の兄妹も(設定は、大正時代でしたが)実は江戸時代から続く儒教的家族倫理を貫く姿だったのではないかと考えられるかと思います。

炭治郎が家族を失い、禰󠄀豆子を人間に戻すために戦っている「鬼」という存在とは、日本人が自身の存在意義を忘れさせてしまった西欧化信仰主義や行き過ぎた資本主義、グローバリゼーションに対するメタファーだったのではないか、そんなことを思わずにはいられません。

(完)