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厨二な大人に振り回される哀れな子どもたち

2020年、1つのアニメ作品が一斉を風靡しました。
鬼滅の刃である。

大人から子供まで幅広い層から支持を受け、この作品は瞬く間にその年を象徴するコンテンツとして知られるようになりました。

僕はこの作品を見ることで、愛されるデザインとは何か、心を掴むストーリーとは何か、この作品を通じてこれからの創作活動においてなんらかのヒントが得られるのではないかと期待しました。

しかし、そこで見えたのは未来のある子供が華々しく腐敗していく姿です。

今日の記事は鬼滅の刃について書かれたものではなく、中二な大人たちが間違った常識を子ども達に伝える現状について僕なりの考えを述べたものです。

感情的になっていると思われるかもしれませんが、あくまで中立を意識して描いたつもりなので、あまり不信感を抱かず見ていただきたいと思います。


 

僕はあまり漫画を読みません。

嫌いとかそういうのではなくて純粋に時間がかかるのです。

一冊読むのに大体1時間半〜2時間程度。
多分相当感情移入して読んでいるのだと思います。

そのため、少しでもその話からリアリティーが感じられなくなと、物語に入り込めなくなってしまい、続きを読むことが億劫になってしまうのです。

鬼滅の刃は一巻までしか読むことができませんでした。

鬼に対して涙を流す丹次郎を見てからです。

このシーンはいわゆる名場面というのにあたるようで、ファンの間でも人気な1コマであるらしいですが、僕はここで一気に冷めました。

詳しい設定は覚えていませんが、心優しい少年丹次郎が凄まじい努力をする姿は印象的で、少年マンガということなのできっと彼は最後にハッピーエンドを迎えるのだろうと想像します。

しかし、ここで問題になってくるのは、それは現実に起こり得るのだろうか。?ということです。

皆さんの言いたいことは分かります。
「漫画と現実を一緒にするな」という意見。

僕はもちろんアニメと現実は分けて考えていますが、その一方でアニメだから何でもありというわけでもないとも思うのです。

例えば、「鬼は原種である親玉から血を注ぎ込まれた人間がその血に適応できた場合に変異して生まれる」という設定があり、読者は「いや、何で血を注ぎ込まれて鬼になるんだよ」とまではなりません。

また、あちらの世界では複数の侍が異る呼吸を操ります。

丹次郎はその内の「水の呼吸」を扱うことで刀から水を放出することができるわけですが、水を操る設定は、この「呼吸」と言う存在を示すだけで十分であり、読者は「いや、水の呼吸って何だよ」とはなりません。

ところが次のシーンから彼が突然3本足で歩き出したり、雷を操って戦闘すると「何で?」となります。

このように、アニメだから何でもありと言うわけではなく、やはり現実に反したアクションを起こす場合はそれなりの「設定」が必要になってくるわけです。

そうなってくると、何ら特別な才能を持たない男が圧倒的努力だけで強さを手に入れ、そのうえ鬼に対しても涙を流し寄り添っていく優しさを見せながらこの厳しい世界を生き残るという物語を、この「設定」では十分ではない思ったのです。

もちろんこのようなアニメは御満と存在するので、鬼滅の刃が特別という意味ではありませんし、単なる好みの問題ではないのかといわれるとそのその通りなのです。

僕が思う「名作」はその辺の設定はしっかりしています。

もともと類稀な才能があることが前提の主人公やチームメイトが、血の滲む努力を続け世界を目指す。そういった作品は内容も深いものが多いです。

人を斬ったり殺したり、一般的にダメとされる行為を、アニメをみて試してみたくなった。というのであれば自己責任と言わざるおえないと思いますが、現実はそうでないことを、「これが正しい」と世間的に言われているところに僕は危険性を感じるのです。

現実の世界では彼のような人間は搾取され、生きていくことはできないし、度合いにもよりますが、鬼の方が合理的にこの世界を生きていくことになります。

仮想と現実を区別できる大人が「美化された妄想の世界を楽しむ」ということを目的にしているのであれば、こういった作品がうってつけのコンテンツになってくるのかもしれませんが、現実的でない話をあたかも真実であるように子供たちに伝えるのは問題だと思います。

「丹次郎のような振る舞いが正しい」と教育され、それを信じるて行動する子供が1人もいないのか、と言われるとやっぱりそれはいるわけで、そういった子どもの辿る道は当然物語のように綺麗なものにはなりません。

確かに親の立場で考えてみれば、自分の子供には丹次郎のように優しい子供に育ってもらいたいだろうし、回りが皆丹次郎のような目的プログラムで動く人間であれば楽だとは思いますが、とうの本人はそれが幸せな生き方なのかというところまで考えるべきだと僕は思うのです。

自己犠牲に生きたことのない大人から、「それこそが美徳であると口にする自分素敵」という理由で間違った道徳を教え込まれ、どんなに罵倒されようがそれを信じて貫き通し、大人になった頃には自己責任の世界。
そんなふざけた話はありません。

中二な大人たちの妄想によって、素直で未来のある子ども達のキャリアを根こそぎ奪い取られている現状を、私たちはもっと深刻に考えるべきなのです。

もちろんアニメだけが問題だとは思っていません。

スポーツ界やその他様々な現場では教育を称して子ども達が人としてやる必要のない我慢や努力、間違った道徳を大人達に植え付けられています。

知見が上がり始めたといえ、子供たちが正しい常識を正しいと早々に理解できる環境が整うのはまだ当分先の話です。

それまでは、この世界はまともであることが難しいと知っている私たち大人がしっかりと子供たちにもそれを理解させ、それでもまともであるか否かを子供たち自身に決めさせなければいけないのではないかと思います。

自分がいいことを言って気持ちよくなりたいがために子供たちの未来を奪うのは最悪な行為です。

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