ぼくは世界からきらわれてしまいたい #37

「今日はどこかで食べていきませんか?」

マリから行動を提案されるのははじめてだった。ぼくはその積極性に心が弾むようにも感じたけれども、一方でその意図を推し量ろうとたじろぐ思いがあった。

マリの瞳は強い光を帯び、その視線はなにか、ぼくの方にまっすぐ伸びてくる平均台のようで、ぼくにTの字となってそれを渡ることを促しているように感じられた。それは不快な緊張をぼくにもたらした。

「家でよくない?」

「なんだか最近、エントランスのところに不審な人がいるらしくって。それで、住人のひと、警戒してるっていうか。ちょっと入りづらくて。それに、話したいこともありますし」

なにかを伏せるように話すマリの目には、しかし依然として頑ななものがあった。話したいこと、という包装のなかに、破壊的なものが忍ばされている気がして、ぼくはそれを開封せずに破棄してしまおうと考えた。

「不審者って、男?」

「そうですね、私は見てないんですけど、ただ立ってるだけみたいで。不気味ですよね」

女性専用マンションの入り口に、ただ佇む男……

「それはたしかに不気味だ」

そう呟いて、ぼくは強姦事件のニュースを聞くときのように、他人事としての分析をしはじめた。女たちは脅かされている、とぼくは思った。想定された女たちの表情は、まさしく並存に関わる次元で、危害の兆候について研ぎ澄まされた野生動物を思わせた。

女であることそのものが、のっぴきならない並存の地平へ落ち込んでいく穴だらけの地面のうえに立つことを意味している。女たちは結託し、価値づけるまなざしによって、穴を塞ぎ相互に防衛しあう必要があった。並存へと落とし込めようとするもの――存在を脅かすぼくのような危険因子は、ひとり穴に落とされ、穴は〈ストーカー〉とか〈変質者〉とか、そういう意味によって塞がれる必要があった。

ショーウィンドウにぼくとマリの姿があった。ぼくはマリと並ぶぼくが、ぼくではないような気がした。それは男と女のつがいの、他のどれとも変わるところがなかった。

鏡は穴の塞がれた世界の出来事を映す、とぼくは思った。マリの「話したいこと」は、どうもこの像と関係があるようだとぼくは悟った。ふたつの個体のあいだにおのずと読み込まれる意味は、絶望的な明るさをもった可能性のかたまりを、そこから生じさせるように思われた。

ぼくはそれにめまいを感じた。明るい像と、暗い像……ぼくが世界に存在するためには、そのどちらも引き受けなければならないように思えた。マリのまなざしはぼくに、その明るい像のうちへと収まることを要求している。

けれども明るくあることを期待するまなざしは同時に、垢人形をめぐるぼくの疚しさを呼び起こさずにはいない。この人形を、明確な罪人の像のうちに固め入れ、それについての社会的な裁きを受けなければならない――そういう思いがぼくを慄かせた。ぼくを更生し、ひとつの像へと変形させようとする、女のまなざし……なぜぼくは、ひとつの像でなくてはならないのだろう?

「立ってるだけって、どういうつもりなんでしょうね」

黙り込んでいたぼくに耐えかね、マリが口を開いた。不審者を咎める言葉は、ぼくの沈黙を責めるもののように響いた。責めに対しておのずと身構えた肉体に、垢人形の影が差している。

ぼくは自身を脅かすものとして意識した。この女を、マンションの住人を、並存の危険に脅かしているのは紛れもなくぼくだった。マリの肉体が、変質者に貪られる対象となって、あらゆる傷と汚れに対して無防備に開かれている気がした。

「本人も、わかってないんじゃないかな。まぁいいや、ちょっと、ディナーの前に公園で散歩しよう」

あまり乗り気ではない表情を見せる彼女を尻目に、ぼくは歩きはじめた。

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