ぼくは世界からきらわれてしまいたい #27

店を出てぼくはいかにもよろめいたようにマリの身体にもたれかかった。肉のやわらかさと裏腹に、ぼくを支えるマリの脚にはたしかな骨格が感じられた。ぼくはマリをかたちづくっているその構造を愛した。

よじのぼるようにマリの両肩に手を掛け目を合わせると、案ずるような瞳があった。切迫した衝動に打たれてぼくはマリの唇にかぶりついた。舌が蛇の腹のように、触れるものの質感と温度とぬめり気を、つぶさに知覚しようとする。同時にぼくはマリの腰と尻に手を這わせ、肉の感触を確かめていた。

ぼくは自分には制御しえないものに駆り立てられるまま、何かの痕跡、たしかな形状をもったしるしを、マリのうちに探っているのだった。その形は、この肉体を弄んでいた男たちと強く関わっているように思えた。ぼくはいつまでもその肉体のうちに、そのしるしを探り続けなければいけないという思いに囚われていたが、突然背後から伝わった衝撃でそれは遮られた。

「邪魔なんだよ」

声を発した男の横顔に、ぼくは反射的な憎しみを覚えた。探っていたものが男によって掠めとられた、という感じがした。のっぺりとした鼻がいやらしく顔全体の印象を定め、歳のわりに白髪の目立つ男だった。彼はぼくの存在を踏みにじった悦楽に口元を緩ませているように見えた。

マリを見ると、突風によってクモの巣から脱出した羽虫みたいに、唐突な解放に戸惑っているようだった。獲物を手放してしまった憤りに駆られ、ぼくは去ろうとする男に向かって叫んだ。

「おい待てやコラ」

待ち受けていたように振り向いた男の顔は歪んでいて、それが怒りによるものなのか、不安によるものなのか、にわかには判別できなかった。

「あ?邪魔だろうがよ、サカってんじゃねぇぞ」

男の声は釈放直後の囚人じみて、適切な場を見い出せていないように聞こえた。ぼくはこの男の凶暴性が、普段の社会生活のなかで抑圧されつづけ、発散の場を持つことができずにいたのだと感じた。その発見はぼくをひどく脱力させるものだった。

「いや、なんかもういいや、ごめん」

しかしぼくの戦意喪失はかえって、彼の凶暴性に筋道を与えたようだった。

「そんなんで済むかよ、誠意見せろ、誠意」

そう言いながら、彼の視線は一瞬マリを捉え、そのあと語気は明らかな強まりを見せた。

その瞬間、ぼくのうちで滞っていた不快な情動が、収まるべき明確な形状を見出した。それはあの、オーナーの息子と、マリの父、目の前の男を繋ぐ線によって象られていた。自らの外にあるものを変形させるによって、自らの力を確証しようとする、そういう根本衝動が、個を超えてひとつの運動を形成し、川のように、上のものが下のものを、順々に抑圧していく……マリは一番下流で、あらゆる暴力的衝動の受け皿となっている。

同じものが繰り返し発現し衝突する一点に、いまぼくは居合わせているのだった。

「誠意なんてもんでいいのかい?ほんとはぼくを殺して、あの女を犯す、そのくらいしたい気分だろう。そんなんだから小市民なんだよ」

「バカにしてんのかこら」

男はぼくの胸倉をつかんだ。しかし拳から伝わる動揺に、この男はぼくを殺すことができないとぼくは失望した。ぼくは男の腕を振り払い、自らの頬を殴った。殴ったのか殴られたのか、判然としない痛みが、馬鹿げたパフォーマンスへの羞恥とともに熱をあげる。

「あなたはぼくの形を変えることができない」

呆気にとられている男を尻目にぼくはマリの方に向かった。彼女のうちに見出さなければならないものが何であるのか、ぼくはほとんど確信しきっていた。しかしそれに対してぼくが何をなしうるだろう?

ぼくは躊躇いながらマリに手を伸ばした。肉からは反発のない、ぐにゃりとした感触が伝わった。マリはいまだ、クモの巣から解放されたあとの処置について、自らの意志を介在させることを放棄していた。彼女はあらたに自身を捕らえるものを待っているようだった。

抑圧の連鎖がマリの本能に異常をきたしたのだ、とぼくは思った。しかしその連鎖から彼女を解き放つ術をぼくは持っていなかったし、そもそもぼく自身のうちに、彼女を救い出してやろうなどという気は微塵もないのだった。

じっさいぼくはその連鎖に乗じて彼女の肉体を弄ぼうとしていたのだし、いま、自分を動かしているものは、マリの肉体から暴利を貪ってきた連中に対する復讐心にも似た嫉妬であり、マリの肉体に刻まれているはずの男たちの痕跡を、上書きしようという衝動だった。それに駆られるままマリの肉体を得ようと動くことに、ぼくはなんら負い目を感じてはいなかった。

「ちょっと休んでいこうよ」

マリは黙ったまま俯いた。ぼくはそれを受諾の意味に受け取り、陰気な犬のようになったマリの手を引きホテルへ向かった。ぼくは自分のうちに、朝焼けを夕焼けと言い張るような強引さを感じ、その原因となる自身の衝動を憎みながら、開きなおるようにその衝動に従っていた。

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