ぼくは世界からきらわれてしまいたい #6
「ねぇ、昨日の撮影で何かした?」
コンクリート詰めにして埋めてしまおうとしていたヘドロ状の物質を、電話口のマネージャーは明確な形として提示するよう求めていた。ぼくの肉体の暗さ、それに対する人々の嫌悪と呆れ、そういうものを、どのように切り取り提示すれば、彼女は納得し、ぼくの側に立ちうるだろうか。
「すいません、なんか体調悪くて」
間を恐れて口に出した言葉は許しを請うような響きにみちて、彼女に見放されるのに十分なぼくの落ち度を伝えた。
「それならその時ちゃんと言わなきゃ。クレーム来てるよ、素人以下の集中力だって。わざわざ言ってくるってよっぽどだからね。もうあそこからは君だけじゃなくて、ウチの事務所そのものが仕事もらえなくなるかも。しっかりして。そもそも体調管理も仕事のうちだからね、言い訳にならないから」
責め立てる言葉に、裁判の場で自分の犯行映像を見せつけられているような気分になる。ぼくの昨日の言動、射精に至るまでのあらゆる思念と行為が、すでにマネージャーのもとに証拠物件として押さえられているように思われた。
その感覚は昨日の、ハルに垢人形を拒絶されることから生じた快の感覚とは、なんら共通する部分をもたないものだった。存在そのものの認知とは全く異なる次元で、ことがらは進められているのだった。変更できない過去の行為が、なかったことにされずに明確な意味をもった像をつくる……そのとき明確でなかったぼくの意図もまた、公の空間において整然と組み上げられるにちがいなかった。変質者の烙印を押された垢人形が、ぼくとしてぼくに返却される。
電話が切れたあと、ぼくはすっかり自分の皮膚が赤黒くざらついたものになっているように思えた。その感覚はしばらく残り、その間ぼくは自分の皮膚を人目に晒すことを恐れた。けれども事務所はそれから立て続けにオーディションの日程を組んでぼくに伝えてきた。
オーディションの審査員たちが、ぼくの皮膚のざらつきを視線で焼いて、醜い膿が顔にいくつも浮かんでくるように思われた。隠さなければならない、そういう意識のうしろめたさが、審査員との受け答えのうちに不穏な濁りを浸透させていった。彼らの失望や見切りの表情に刺され、膿は破裂しその度いっそう肥大化していった。ひと月ほどで十以上、手掛かりすらないままぼくはオーディションに落ち続け、ぼくは自分の顔がハチの巣になっているのを感じた。
ぼくは事務所に呼び出された。仕事を取れずにいることを叱責されるのだろうと思った。けれどもマネージャー二人が表情なくキーボードを打ち込んでいる奥で、社長は案じる母のような顔でぼくを迎えた。
「聞いてるわ、最近、調子がでないみたいね。こういう仕事だからね、なにかと不安に思うこともあるでしょう」
澱みを促し流すように社長はぼくの目を覗きこんだ。ぼくの心の内壁にこびりつくものが少しざわつくのを読み取ったように、社長は続けた。
「精神的なものを解消してあげるのは難しいけれど。生活の不安だったら、合間にできるお仕事、紹介できるわよ」
予期していなかった角度からの介入に呼び起こされるみたいに、ぼくのうちで新しい回路を繋ごうとする動きが生じて、それは〈生活の不安〉という言葉を軸に鬱積していたものを整然と組み上げていった。
「それはどんな仕事ですか」
「ブティックのドアマンをしてもらうの。店先に立って、お客様をお迎えする仕事ね」
それは適切に用意された出口であるように思えた。審査員のまなざし、カメラのレンズが、ぼくの醜い皮膚を通じて内側を覗き込む、そういう危機からぼくは一度離れる必要があるのだ。実りのないまま削られていくオーディションの日々に比べ、確かな労働に出勤し確かな報酬を得ることのいかに健康的なことか。もはやぼくのあらゆる不安の根底に、〈生活の不安〉があったように思え、その不安は離散しつつあるのだった。
「やらせてください」
社長は安堵した母になって微笑んだ。
「そう。こちらからブティックには連絡しておくわね。出勤の日が決まったらまた連絡するわ」
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