自己分析はカラダから☆

自分を見つめ直してみようと思い立ったときに、自分自身の身体的特性について考えてみることで意外な発見があったりする。私は自分の精神の不安傾向は、その相当部分が自身の胃腸の弱さに由来しているのではないかと考えている。根拠はない。

ともあれ精神の在処みたいな、そういう得体の知れないものについて思念を巡らすよりも、フィジカルな部分を検証してみる方が建設的だ、というのは一定の説得力を持ちそうである。そういうわけで今私は、私を私たらしめている身体的条件について考えているのだが、どうやら食の性向にヒントがありそうである。

私は生存に必要なあらゆる栄養素の詰め込まれたサプリやらゼリーやらが安価に手に入るのであれば、毎食それを補給することがもっとも望ましいと確信してやまないのであるが、これはよくない考え方であるらしい。私は食べることがきらいで、もちろん誰かと食事したり酒を飲んだりといったことは好きなのだが、ルーティンとしての食事に栄養補給以上の意義を見いだせないのである。

準備も食べるのも片付けるのも、面倒で仕方ないのだ。私にとって食事は手段にすぎないのに、なぜそれを目的に動かなければならないのか、まったく理解ができないのである。しまいには妻が昼飯を私の分まで甲斐甲斐しくつくっていることに対してすら、腹が立ってくる始末だ。

完全に私の方が間違っているのだが、何が間違っているのかピンとこない。これは何か、私の精神における根本的な欠陥と密接に関わる性向であるにちがいない、というわけである。

一体私の、何がおかしいのだろう? 胃腸が少し弱いくらいで、このような思想に染まるとも思えない。味覚が破壊されているのだろうか? 一応、回る寿司と回らない寿司の違いくらいはわかる。

可能性を逐一潰していき、私はもっとも関連性のありそうな「欠陥」に思い至る。顎の弱さと、虫歯である。すとんと腑に落ちる感じがした。

顎が強く、虫歯がなければ、私はもっと食というものを愛せていたにちがいない。それどころか、この陰気な思想もきっともっとカラッとしたものになっていたはずだ。なにしろ顎と歯である。顎と歯がしっかりしているグループと、ガタガタのグループとで、どちらがより陽キャでヤリチンかを調べれば、どう考えたって顎と歯がしっかりしている方だろう。実験するまでもない。

何かを食することそのものに喜びを見いだせるなら、やっぱり日々に張り合いが出るはずだ。何しろ日に三回もその機会があるのだから。健康な顎と歯は、生活にメリハリをもたらすのである。

軟弱な胃腸と、虫歯、脆弱な顎。私の存在を成立せしめている根本条件として、今のところ私が見いだしているのはこの三つである。

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