ぼくは世界からきらわれてしまいたい #25

席に戻ると、なにやら知らない女と相席させられているような居心地の悪さがあった。先の言葉によって、マリの表情がぼくのうちに映し出すイメージが一変させられていた。その表情の裏面を、常にぼくは意識しなければならないのだった。

しばらくぼくらは無言だった。マリの目を盗むようにぼくはその顔色を窺うのだけれども、彼女が今何を思っているのか、その手掛かりすらぼくは掴むことができないでいた。

顔、反復によって刻まれた痕跡、内側のさまざまな循環、肉と皮、情動と反射――人間の顔に含まれる情報量の多さにぼくは愕然とした。ぼくはマリのことをなにも知ってはいないのだった。表情のさまざまな機微がバラバラに、分解された記号めいてぼくに迫ってくる。女はぼくに対して何を思っているだろう。目の前にぼくがあろうとなかろうと、彼女はなんら気に留めることなどないのではなかろうか。

身を固くする沈黙を嫌い、ぼくはテキーラを飲み込み同じものを注文した。

「ペース早いですね」

久々に響いたマリの声はぼくの節操のなさを咎めるもののように聞こえた。けれどもぼくはなにか、ぼくの存在に言及しようとするマリの意識そのものに安堵していた。罪深い存在としてであれ、場を与えられているだけ上等であるように思えた。

「酔ってないと、不安なんで……酔えば、自分のこと、許せるというか。そう思いませんか?」

ぼくはいっそう罪深く、汚らわしく場を占めようと、人生訓を垂れる脂ぎった中年男の目つきを浮かべて言った。

「あまり……お酒飲まないので」

マリは適切に、面倒そうな調子を滲ませながら言った。

「そりゃ、もったいない。あなたは、自分を責めるタイプでしょう。そういう人は、飲まなきゃだめだ」

そう言ってぼくはテキーラを掲げ、乾杯を促した。困惑しながらマリの掲げたグラスに、軽くぶつけたグラスをぼくはすぐさま飲み干した。それを見てマリは申し訳程度に色のうすいカクテルを口に含んだ。

「お酒、強いんですか?」

マリの声が周囲の声と区別しづらくなってきていた。しかしかわりにマリの語気と表情そのものによって、むしろいっそう明白に、呆れと嫌悪の情動が塊となって伝わってくる気がした。

「いや、かなり厄介なタチみたいで。自分じゃ覚えてないんだけれども、吐くわ漏らすわ、チンコ出して暴れてたって話も……」

一瞬引き攣ったマリの表情のうちに、なにか侵入しうる隙間のようなものがあるように感じる。

「それは、なんというか……困りますね」

潜在的な迷惑を危惧する表情のうちに、しかしどこか落ち着きはらった構えが隠れていた。それは何か、理不尽な仕打ちに慣れ切った者に見受けられる、情動の回路の無意識的な切断を感じさせるものだった。

「まわりに酒癖が悪いヤツいます?」

「父がそうで……小さい頃はけっこう大変でした」

前触れなく自身の内側を開示したマリに、ぼくはその意図を推し量ろうとする。マリの瞳が、特定の形状を吸い込もうとしている。ぼくのうちにその形状を、見出そうとしているようにも見える。

「大変?もしかして暴力振るうタイプですか?」

マリは黙ってうなずいた。形状の輪郭が、クリアになっていく気がする。DVの痕跡がもともと彼女の存在に内包されていたような、妙に腑に落ちる感覚をぼくは抱いていた。

「あぁ、しんどいですね。家族だと、逃れようがない」

「いつもは優しくて、ほんとにいいお父さんなんですけど」

聞いたセリフに、彼女が常に同一のものに振り回されてきたのだという確信が生じる。

「その分、殴られると、自分が悪いって思っちゃわないですか?」

「そう、ですね。自分がなにか悪いことしたんだって、どこが悪かったんだろうって、考えてたと思います」

罪の捏造が、彼女に存在の意義を与える……やはり彼女は、自分が罪深い存在であることを、他人から求められていると錯覚しているにちがいなかった。むしろ彼女は、ありもしない〈罰された理由〉から逆算するようにして、自身を構成してきたのではないか。もはやそれがなければ、彼女は自身の空虚に耐えられないのではないだろうか。

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