ぼくは世界からきらわれてしまいたい #35
事務所から久々にオーディションの連絡があった。
マネージャーの励ます声に、ぼくはマリの声を重ねていた。自立を促す母に対するような投げやりな思いを抱きながら、背骨の中心に確かな緊張を感じる。その緊張はぼくの核を抜け落としたまま、ぼくの像を形成するように思われた。
まっとうな人間!革命の衝動を忘れ、社会的生に埋没していく自らのイメージは、ぼくのうちから使命感の残骸をとり集め、惨めな人工物としての渦を巻きあげていった。
ぼくは牛のように自身を電車に運ばせていた。行き先についてぼくはいかなる考えも持っていなかった。ふと思い立って、ぼくは最新の玩具を手にした子どものように嬉々としてスマホをポケットから取り出した。阿呆のように首をかしげて、それを耳にあてた。
「ウェ、久しぶりじゃん、どしたん?…あー、アァ、まじ?ユカが?サイアクじゃん、まじあいつ、あいかわらずヤリマンだな」
腹話術の人形みたいな口元からぼくは周囲を圧するための音を発そうとしていた。視線の棘がぼくの内臓に小さな穴をあけ、そこからドブみたいな臭いの空気が漏れ、いくつも渦をたてる。
「なー、それな。ア?いま電車。エ、よくね?アーソ、マァマタノモーヤ」
そう言ってタップした黒い画面に映ったぼくの顔、それは拡大したアブラゼミに似ていた。この顔がいま世界に存在している。ぼく自身、その事実を拒絶するだろう。ぼくの周りにすかしっ屁のように残された人々の視線のあとを、凝った装飾の施された陶器を扱う手つきで掬い上げて飲み込みたいとぼくは思う。
貸会議室の一室で順番を待つモデルたちは、ウルトラマンへの変身に慣れていない隊員みたいな顔をしている。ぼくは手のひらの皺を見つめ、その皺の集積としてのぼくの肉体を思う。
皺の集積としての肉体。その考えはぼくを愉快な気分にした。あらゆる襞に、人々はあらゆる否定性をはさみこむことができる。皺人形の需要はかつてないほど高まっているはずだ。
名前を呼ばれる。皺人形の名前だ、とぼくは思う。別の部屋への移動を促され着いていくと、入り口でA4サイズの紙に巨大なゴシック体で名前が印字されたものを渡された。
「ではバミリのところに、胸元に紙を持って立ってください」
ぼくは言われたとおりにカメラの構える正面に立った。レンズはたのもしく、紫と青と緑の入りまじった瞳を輝かせていて、ぼくは最も凶悪な犯罪者のように尊大な無防備さを全身に浮かべた。とくに合図のないまま、シャッター音が二度、すこしの間隔をあけて響いた。
面接官はぼくのうちから何らかの記号的要素を読み取ろうとしているようだった。それは砂漠に農地としての素地を探ることに似ていた。
彼らの視線が諦念や憤慨の色に染まることを、ぼくは期待した。けれども彼らはわずかな水脈も見逃さない、熟練した開拓者の矜持をその表情に浮かべたままぼくをまなざしていた。
ぼくは困惑して、還元する視線から逃れるために最も平凡な農地であろうと思った。定型の質問に、ぼくは凡庸な熱意を含んだ調子で凡庸なことを答えた。その後ふたたびカメラの前で指定されたポーズと撮影されるときには、ぼくは刑務所で尻穴を犯され蹂躙された囚人のようになっていた。
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