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【読書メモ】『お金のむこうに人がいる』

 本書は、医療経済について考える時のモヤモヤに対して、それを解消するヒントを与えてくれました。

 日本の医療費が年々増加しています。
 厚労省によると「令和4年度の概算医療費は46.0兆円、対前年同期比で4.0%の増加、対令和元年度比で5.5%の増加。なお、対令和元年度比の5.5%の増加は3年分の伸び率であり、1年当たりに換算すると1.8%の増加」とのこと。
 それに伴い、年金と合わせ、社会保障費が国の財政や家計を圧迫しているという報道識者の意見も多くなされいます。
 財務省は、「日本は、他国に類をみない速度で高齢化が進んでいます。今後、高齢化はさらに進展し、2025年にはいわゆる「団塊の世代」の全員が後期高齢者 である75歳以上となります。75歳以上になると、1人当たりの医療や介護の費用は急増することから、持続可能な社会保障制度を作るために残された時間はわずかです」と危機的状況だと主張しています。

 一方、日本の医療費は海外と比べて低いという主張もあります。少し古いデータですが、外科系学会社会保険委員会(2006年)の<日本の医療費について>という資料によると、
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「わが国の医療費は外国と比べて多いのでしょうか?また、国はそのうちいくら支出しているのでしょうか?」という問いに対し、
A、わが国の医療費は国際的に見ると大変に少ない。
 
医療費の対GDP比は僅かに7.9%、世界先進国中で最も低い値です。
B、医療費31兆円のうち、国が支出しているのは25%の8兆円。米国の10分の1にすぎません。
 
一方、国民の負担は45%です。医療制度改革で国民の直接負担は増加する一方ですが、国の負担はむしろ減っています。
 そして、以下のように述べています。
 このまま医療費の削減をつづけていると、日本の病院医療、ひいては地域医療は完全に崩壊します。
 これを防ぐためには、診療報酬を適正なレベルまで引き上げることが必要です。‘もの’と‘技術’を分離して診療報酬を適正化することが必要です。
 医療費は国が定めている公共料金の一種です。診療報酬を適正なものとすることを医療制度改革の柱とすべきです。そのためには、電気、ガス、水道、鉄道料金などの他の公共料金と同じように、原価計算に基づいて診療報酬を決定すべきです。
 
診療報酬の適正化には、医療費の総枠規制の撤廃が必要です。
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 こういった情報に接するたびに、臨床の現場で日々働く医療従事者としてはモヤモヤします。
 健康と生命という貴重なものを守るという効用は、ある面、「プライス・レス」です。入院してきた時、心身共にボロボロだった人が、見違えるように回復して退院するのは、本人、家族にとって、金銭には替え難い価値があります。
 医療従事者にとっては、日々、そういう価値を生み出していることは甲斐であり誇りに思い、大変でも、働き続ける原動力となります。
  
 ところが、医療費が高い/低いという議論になると、単純な医療費の総額だけで判断されがちです。
 家計や企業で支出する時には、費用と効用(「好みに合う」といった満足度まで勘案して)のバランスを考えて、費用が高いか低いかを判断しているのに、国全体となると、それが飛んでしまいます。
 「お金が足りないから医療を抑制すべき」という論に対して、「では、お金さえあれば、いくらでも医療を供給できるのか?」ということも検証されているとは言い難いです。
 勤務医の過剰労働は、現場としては「お金を積まれても、これ以上は働けません」というぐらいに大変です。それを国が認定して「医師の働き方改革」が始まったわけです。
 「経済というものは、そういうものだ」という意見もありますが、そこで働いている人や、治療を受ける人の姿が見えません。経済・お金が、創造された目的から変質してしまったと感じます。

 前置きが長くなりました・・・

 本書は「第1話 なぜ、紙幣をコピーしてはいけないのか?」で、本質的にお金とは何なのかを解説しています。
 その答えは、「お金とは肩叩き券」だということです。

 母の日にあなたが1回30分の肩たたき券を10枚プレゼントする。さっそく母親が1枚使う。
(中略)
 ところが、4枚目のチケットを使ったのは、隣の家に住むおばさんだった。彼女は庭の柿を母親に10個あげたらしい。そのお返しに肩たたき券を2枚譲り受けたというのだ。
(中略)
 6枚目、7枚目と知らない人の肩叩きをしたあと、誰も肩叩きを依頼してこなくなった。あなたの肩叩きが街中で大評判になり、残りの3枚は紙幣のように出回っているらしい。今や、街中のみんながその紙に価値を感じている。そのチケットが道端に落ちていたら、誰かに拾われて財布の中にしまわれるだろう。
 しかし、この道端に落ちているチケットを破り捨てたい人物が一人だけいる。あなた自身だ。あなたにとっての肩たたき券は、30分ただ働きさせられる厄介な存在になる。

お金のむこうに人がいる

  小学生の時、親の肩たたきをして、10円だったか100円だったかをもらった記憶がありますが、あの体験が、お金の本質を表しているというのが面白いです。
 この本質を理解すると、お金だけでなく、すべてのチケット(航空券、乗車券、コンサートチケットなどなど)は、将来の約束ことを指すことがわかります。
 なぜ、これが事実かというと、すべての商品やサービスが人間の労働によって作られているからです。
 本書では、100g500円のステーキ肉は、その裏側にあるさまざまな人たちの労働の合計でできていることを図解で説いています。
 人だけでなく機械とかも必要だと思うかもしれませんが、その機械もだれかの労働でできています。「機械を購入するには資本が必要だ」なんて言われますが、資本が機械を作るわけではありません。その資本によって労働する人が、機械を作るのです。
 ここでステーキをお金で買うとはどういうことを意味するでしょうか。ステーキの500円は、各段階で積み上げられた誰かの労働の対価としてわたっています。
 そう、ステーキを通じて、ぼくらはお金と誰かの労働を交換しているのです。別の言い方をすれば、お金は誰かの将来の労働を約束したものだというわけです

 これが本書のタイトル『お金のむこうに人がいる』の意味です。そして、「お金を使うというのは、モノを買うということではなく、その先にある誰かの労働を買うこと」だというふうに世の中の見方が変化するわけです。
 
 このように変化すると、医療費に関する議論をする時にも、現場で働く人の人の姿が見えるようになるのではと期待します。
 患者さんのために身を粉にして働く医療従事者いるからこそ、お金を出す意味もあることを、医療政策を決める権限をもっている人達には、理解して、政策を決めてほしいと思います。
 
 『第三部 社会全体の問題はお金で解決』では、年金問題や少子高齢化問題についても、示唆に富む意見を提示しています。

かって、地域社会には、お金を使わずに支え合う経済が存在していた。お金を使うのは外部の人達に働いてもらうときだけだ。お金はその交渉力を生かして、知らない人に働いてもらうための手段だった。
 ところが、お金を使う経済があたりまえになり、経済の目的は「お金を増やすこと」になってしまった。
 GDPを伴わない無償の助け合いは経済活動としてカウントされず、道徳の領域に追いやられている。
 少子化問題は、助け合いという経済の目的を忘れた現代社会を象徴している。
 人が助け合って生活するために経済が存在していて、お金は助け合う手段の1つに過ぎないということを思い出さないといけない。

(中略)
 どんなに土地の資産価値が上がっても、子どもがいないことには、s上雷の社会は支えられない。将来、土地を買ってくれる人もいなくなる。

お金のむこうに人がいる

 医療従事者に限らず、いわゆるエッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事についている人は、本書を読むことでモヤモヤが晴れる部分があるかと思います。
 広く一読をお勧めしたい書です。