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保護者会前の参考図書

保護者会にて、本で読んだ情報をシェアするのはナンセンスである。保護者に事前に本を読んできていただくようお願いする方が、せっかくの機会がよりまともな議論の場になるはずである。

保護者と教員の認識のズレの一因は、間違いなく情報量の差である。教員は少なくとも教育関係の知識の基礎の上に教育トレンド程度は抑えていて、よっぽど怠惰な人でない限りは教育に関する本を常に読んで新しい情報に頼りながら現場で仕事をしている。知っていることそのものが仕事の一部と言えるので、そう言った行動は当たり前のこと(=常識化)している。

一方の保護者も子どもを一番近くで育てており教育には一家言を持っている人も多く、あれこれ教育について述べてくることが多いが、教員にとっての常識が通用しない場合が驚くほど多い。一体いつの時代の価値観でものを語っているのだというような人もいる。経験からしか学んでおらず、一切教育の学習をしていないからである。そういった無責任な保護者の発言は以下の3点に起因する場合が多い。

1、子どもの感情

2、保護者の感情

3、メディアによるゴシップまがいの情報

子どもが傷つき悩むのは成長の過程である場合が多い。保護者が心配して解決を急ぎ成長の機会を奪うことがままある。親が感情を爆発させるのは、言っちゃ悪いがただのわがままである場合が多い。そして何か起きた時、その事象に対してフェアな立場でモノを語るなら、両者の意見を聞いた上でそういったことが起きた経緯に対して多少なりとも根拠となるもの(いわゆるエビデンス。この言葉私は嫌いなのですが、、、)を持って、知ってから語るべきではないかと思う。

要するに、話し合いが成立していない状態になるケースが年々増えている。カリキュラムから「話し合いの文化」を作ることが、教育改革のまず最初にするべきことで、日本社会がキチンとフェアに対話できる環境にならないと、おそらく本当に有能な人材はお話にならない我々などに構っているほど人生は長くないことを悟り、日本を見捨てて外の世界へ旅立って行ってしまうだろう。

いわゆる良い大学というようなものに行く確率は、学校や教員の良し悪しよりも、保護者の関わり方の方が相関関係が高いような気がするのだが、こういった研究はあるのだろうか?

とにかく、子どもにとっては保護者が最も大切なのである。子ども手当てをもっともっと増やして、経済的な負担を減らして、教育にも関われるような環境を国が支援して作ってもらいたい。そうすれば今よりもっと幸せな子どもが増えると思う。保護者の関わり方が良い方向に変われば、子どもの自己肯定感の低下への防波堤となりうるのではないだろうか。

学ぶことは人間の至上の喜びであるはずだ。学校は人生におけるその最大のテーマパークであるはずだ。そして家庭はその永久機関であるはずだ。もっとしっかり議論をして、最高の環境を学校と家庭で用意したい。子どもたちの持つ無限の可能性が、誰かのせいで潰されてはいないかもう一度よく考えましょう。



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