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SUNNSが目指すもの⑤「ライフスタイルホテル」

ライフスタイルホテルの先駆け

その会社は宿泊事業は初で、経験者が誰もいない状態であった。なのに東京にホテルホステル合わせて3棟を仕込もうとしていた。

インバウンドが日本にたくさんやってきている中、渋谷に1件、浅草に2件と仕込みを始めた。都市開発、建築業界、デザインの領域は初めての連続であった。なぜそこで出店するのか、勝算や周辺との連動。今までのそれとは一線を描く内容であったが、宿泊施設としての収支計画や集客などは、そこに紐ついてくるものであった。

つまり、大きなマーケット(ここでは都市開発計画)などをもとに人流が形成され、その中で中くらいのマーケット(ここでいう宿泊事業や個別のマーケット)があり関連している、と言うわけだ。
よくよく考えてみると、温泉旅館も温泉街と一心同体であるそれと同じ理由になる。つまりそれは「地域振興」ということになる。

そのホテルはデザインも有名デザイナーチーム、オペレーションはマリオットベースのオペレーションを採用、サービススタンダードは5星から崩しフレンドリー化を図った為、「ホテルらしくないが配慮ある接客」というバランスで、たちまち人気のホテルとなった。

渋谷のホテルは、「宿泊xストリート」というテーマで、アーティストを無料で泊めたり、レンタルサイクルはBMXだったり、スケボーレンタルがあったり。
浅草のホステルの1階にはビブグルマンに載ったトンカツ屋が入り、「施設の入り口にトンカツ屋がある」という世界中探してもない仕様に、浅草のホテルはドライガーデンをエントランスに乾いたデザインファサードを採用、これまた中々ない仕様のホテルとして走り出した。

その頃には下北沢の新規ホテルの開発が始まっていたし、札幌の開発も始まろうとしていた。

その矢先、コロナが発生、稼働は急転直下。会社が回らなくなってくる状況が発生。チームは解散、会社は倒産という事態に陥いる事になる。

その頃から田舎側に焦点を当てていた木村成年、伊豆、那須、千葉、茨城、など各地を訪れていたが、八ヶ岳に足を運んだ途端、「全く別の空気」を感じる事になる。
その前に別の案件が。「独立」を決意する。

追記
「ライフスタイルホテル」という言葉は宿泊業界には届いていない。「宿泊+α」というよりは「αに宿泊がついた」という発想だからだ。クリエイティブや企画では到底追いつけないが、今だからこそ「人ができる事」に注目してほしい。インタープリテーションをするための教育体制を整えることをお勧めします。

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