人間社会という名の仮面舞踏会で自分という名のワルツを踊らないか。

初対面の相手と関わるときに、相手がどんな人間であるかを見極めるのはすごく大切なことだと思う。

まずはヤバい人かそうじゃないか。その判断から始まる。基本的に他人に暴力を振るうことをなんとも思っていない人とはお近づきになりたくない。無条件で離れたい。言葉の暴力も同じである。言葉が汚い人とはお近づきになりたくない。

また、他人の時間を奪うことをなんとも思っていない人ともお近づきになりたくない。無条件で離れたい。平気で人を待たせたり、まだそこまで信頼関係がない相手からの誘いに対して「行けたら行く」とかいう人間がその例である。

関わる相手のことを考えられない人ともお近づきになりたくない。人間はどうしたって、程度の差こそあれ「これぐらいしてあげればこれぐらいは返してくれるだろう」という前提で善意の行動を起こして生活している。

その善意がまったくもって返ってこない場合、人はブチギレる。たとえそれが家族であろうと、親友であろうと、自分の期待値、許容値から逸脱した行動をされた場合、ブチギレる。親しき仲にも礼儀ありってやつだ。

それらの人間性、内面性が、5分喋ればわかる、ということであれば、この世の中はもっと平和だろうしこんなにストレスストレス言われる世の中にはなっていないだろう。

そう、わからないのだ。人の内面性は簡単にはわからない。特に普段人はコミュニティの中で、与えられた、もしくは獲得、見つけ出した一つのキャラクターとして生きている。

どんな人も必ず仮面を被っているのだ。その仮面と顔を合わせてのスタートなのである。なので、まずは仮面がどんなものなのかを判断し、その仮面に合わせたお話をしながら、仮面の下にあるその人のより本来に近い、というか、よりその人に根付いている「個」を見極めなければならない。

しんどい。人間社会しんどい。

それに厄介なのは、こちらはこちらで仮面をつけているという話なのだ。そこが職場なら職場の仮面、プライベートならプライベートの仮面をつけている。

そのときそのときに仮面のキャラとして話ししながら、仮面の下から相手の仮面の下を伺い知る必要があるのだ。

しんどい。ニンゲンツカレル。

この仮面の付け替えが楽しいときもあるし、しんどいときもある。好きな人もいるし、嫌いな人もいる。仮面を大量に持っている人もいるし、3個とかしかない人もいる。

あまりに人それぞれの話だから、ここでは僕のことを例に話したい。

僕も仮面をたくさん持っていたタイプだ。親に対する家で過ごす用の仮面、父親専用の仮面、母親用の仮面、学校のクラスの仮面、部活の仮面、後輩と接するときの仮面、、、

大学に入って、バスケサークル用の仮面、ダンス部用の仮面、バイト先の仮面、麻雀友だちの仮面、飲み友だち用の仮面、彼女用の仮面、、、

仮面仮面仮面仮面仮面仮面、、、

しんどい。勘弁してくれ。

そんな仮面生活に疲れたときに、ふと「あれ、本来の自分ってどれなんだろう」って思ったのである。よくある青春小説の一説みたいなことを本気で思った。それも青春小説の仮面、、?

とにかく、何が本来の自分で何が嘘で、どうなりたいのかよくわからなくなった。そしてその仮面の付け替え、そしてどれがどれのときの仮面なのかを把握しておくのがめちゃくちゃ億劫になってきた。

だからあるときから、その仮面全部捨て去ることにした。一回手元にあった仮面全部捨てて、なるべく少ない仮面で生きていこうと決意した。

仮面とはつまりキャラである。コミュニティ内でのキャラとは、その場で円滑に立ち回るための立ち位置の確保という意味だと思う。

だからまずは他人から嫌われるのをありにした。嫌われる勇気ってやつである。まさにあの本に書いてあるとおりのことだ。というかあの本を読んでそうしようと思ったのだ。

嫌われるのありにしたら、相手に合わせて細かく仮面作らなくて良くなった。ごめん、君には合わないかもしれないけど、僕今日はこの仮面でいきますねーっていうテンションでいく。

で、その仮面が相手に合わなかったらどんまい。それはもうしょうがない。そのリスクと引き換えに、こちらは精神の安定を手に入れたのだ。

こうすると人生がめちゃくちゃ生きやすくなった。本当に生きやすくなった。これを最初やろうと思ってスタートした頃、僕は出かけるときいつもサングラスをかけていた。夜だろうが店内だろうが、お構いなしにサングラス。

サングラスをかけることで、強制的に「サングラスをかけている自分」というキャラに自分から指定したのである。

そうするとキャラが一つで済む。そしてそのキャラを毎回出かけるたびに演じることで、どんどん演技がうまくなっていった。サングラスをかけているパリピキャラを実践し、自分のものにしていったのである。

いま僕はあまり無理にサングラスをかけていくことはない。昼間なら普通にかけるけど、夜はかけてない。もうそのキャラスイッチが必要ないくらい、僕自身にキャラが根付いたからである。

今ではそこまで苦労しなくても、その仮面をサッと出せるようになった。そしてそれは、自分が変わったというのと同義だと思う。

自分が望んでいたキャラを手に入れたのである。

なんか長くなってしまったが、結論あれだね。やっぱり「本来の自分」なんてものはなくて、今その人が演じたい、なりたい自分があるだけなんだよな。 

そしてそれを仮面と呼ぶならば、必要なことは「その人が自分と接しているときにどんな仮面を出してくるのか、そしてそれは継続するのか。継続しないのであれば、しなかったときに出てくる仮面は一体どんなものなのか」これを知ることなのかもしれない。

これこそが人と付き合うことで考えることなのかもしれない。

僕の場合で言うと「サングラスかけちゃうような、ノリが良くて騒がしい、飲み会大好きパリピ系キャラ」はわかったと。じゃあもしその仮面が剥がれたとき、どんな仮面が出てくるんですかと。

それがわかっていれば、剥がれた場面に直面しても「あ、こいつ今仮面剥がれかけてるな、ということはあの仮面が出てくるのか、じゃあ対応はこんな感じにしとけばいいな。そうすれば少ししたら元の仮面に戻るだろう」と冷静な判断ができて、友情が続けられそうですよね。

とここまで書いてきたのだけれど、これで言うと結局相手の仮面の下、というかその仮面が剥がれたときに顔を出す別の仮面を把握しておく必要があるということで、めんどくささが変わってない気がしてきた。

あれ?生きやすくなったとか言ってたのに。おかしいな。まあ相手を気にする場合はってことになるか。相手がどんな仮面でこようと、自分はこの仮面で行くって決めてたら関係ないか。

それよりも大事なのは、人間みんな仮面つけてるってことを頭の片隅で認識しておくということが大切だね。

そうしないと、自分が「相手はこういう仮面だから、こういう対応をしておけば自分の期待通りになるはずだ」って思ってたときに違う仮面が出てきたら「裏切られた!!」とか言い出すことになる。

いや裏切られたもなにも、あなたが勝手にそう判断しただけですやん、と。あなたがその人の別の仮面の可能性を考慮できてなかっただけですやんと。

あなたの仮面はどんなものですか?

というわけで、僕は仮面居酒屋を作る。

現場からは以上です。

@yohjihonda fdy.incというアパレルブランドの代表をしています。@fdy_inc SenveroOnDemandという飲み会を企画しています。