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共に生きる、ということ。

学べば学ぶほど、私たちが内面に苦しさやつらさを抱えているのは、ごくごく「普通」だということが分かってくる。

例えばその辺を走っているタクシー運転手のおじちゃんは前職でリストラに遭って妻や子どもとの別れを経験していたりするし、スーパーでレジ打ちをしているおばさんは息子を交通事故で亡くしたりしている。居酒屋でビールを持ってきてくれるお姉さんは家に帰れば彼氏に無理やりなセックスを迫られたりするし、営業成績トップのビジネスマンはじつは癌の闘病中だったりする。
みんな何かを抱えている。それぞれに抱えているものの「ジャンル」が違うだけだ。

そういう意味で言えば、自分だって何の区別も優劣もないただの一般人なんだな、と思う。特別なことなんて何もない。

『世界に1つだけの花』なんて歌が流行った時期もあったけど、みんなが特別というより、みんな同じなんだと思っていたいというのが、個人的な実感。
新宿のガード下で段ボールを敷いて寝ているおじいさんと沖縄の離島で暮らす高名なシャーマンと今日も山の中へ軽トラを飛ばして草を刈っている農家のおばさんとコメダ珈琲で必死にzoomの向こう側の相手に不動産投資を勧めているお兄さんとインスタのフォロワーが10000人いるメンタルコーチと産業廃棄物をクレーンでかき集めている外国人労働者と、そして私。みんな今日も、心に何かを抱えて、何でもない日常を生きている。

「共生」ということを、最近強く意識するようになった。みんな同じだからこそ、支え合って、補い合って生きていく。そういう実感と体感は如何にして可能なんだろうということを、考えている。

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