6970-6973: アートの国オランダからの便り 2021年5月26日(木)

タイトル一覧
6970. 今朝方の夢
6971. 朝日を浴びながら/未来の展望
6972. 新たな経済思想の規範性の確立に向けて
6973. 天命に導かれて/マルクスの生態系思想への接近

6970. 今朝方の夢

時刻は午前6時半を迎えた。昨日の天気予報からすると、今朝も雨が降っているかと思いきや、起床時から今にかけて雨は一切降っておらず、辺りは明るい。雨が降るのは昼前からのようなので、今広がっている青空を楽しもう。爽やかな青空を眺めながら、後ほど朝風呂に入る。


今朝方の夢をいつものように振り返ってみる。最初に印象に残っているのは、夢の中で自分の身体エネルギーが活性化されていた点である。

チャクラシステムを用いれば、低次のチャクラのエネルギーから順々に活性化され、最終的に第3の目であるチャクラまでやって来た時、そのチャクラが大きく開花される感覚があった。その際に、薄紫のエネルギーのようなものが知覚され、第3の目のチャクラがうずきながら少しずつ開き、最終的には全開するような体験があった。

この体験をした時に一度目が覚めた。ここ最近自分の認知能力に変化が見られると思っていたところでそのような体験をしたのは、やはり何か意味があるのだろう。

それは夢というよりもサトル意識状態における知覚体験と言った方が正確かもしれないが、いずれにせよその体験によって、今日からの認知能力に変化が見られるかもしれない。おそらくこの体験はここからの探究活動になくてはならないものだったのだろう。

自分の関心テーマを深めていく際に、とりわけトランスパーソナル経済学の創出に向けた探究には膨大な読書量が要求されており、それは量だけではなく、領域横断的に得られた知識を高次元でまとめていくという作業が不可避に伴うゆえに、これまでとは全く異なる知性が要求されていると言えるかもしれない。

インテグラル理論、批判的実在論及びメタ実在論、そして批判理論を組み合わせる形で、宗教学と経済学を横断させる形で経済思想の歴史的変遷を辿り、そこから現代の経済思想を批判的に検証する形で新たな経済思想を提出していくこと。確かにそのためにはこれまでの自分の知性ではどうにもしようがなかったのだと思う。


それ以外に今朝方はどのような夢を見ていただろうか。今朝方は、不思議と人が登場するような夢はあまり見ていなかったように思う。

確かに誰か登場していたような気もするが、その登場人物は抽象的なシンボルとしてそこに存在していたように思う。夢の中で見知らぬ人を想像しながら、その想像上の他者とやり取りをしているような場面があったことを覚えている。


また、姿は見えないが、数名の知人と声だけを通じてやり取りをしている場面もあった。相対で会話をしないという状況は、どこか現実世界のコロナ下のコミュニケーションを思わせる。これから世界はどのようになっていき、私たちのコミュニケーションはどのようになっていくのであろうか。フローニンゲン:2021/5/26(水)06:45

6971. 朝日を浴びながら/未来の展望

起床直後からしばらくは朝日が見えていたのだが、今は雲が空を覆ってしまった。そのおかげで朝日を拝むことができない。

幸いにも早朝にヨガをしている際には朝日が燦々と部屋に注ぎ込んでいて、朝日を浴びながらヨガをすることができていた。朝日を浴びながらヨガをすることによって、1日の新鮮な始まりを感じていた。

すると、今朝方の夢のある断片を思い出した。夢の中で私は、見られない学校にいた。そこは中学校ではないかと思う。

教室には生徒はほとんどおらず、私と数名ぐらしかいなかった。すると、比較的若いアフリカ系アメリカ人の細身の女性教師が教室にやって来た。彼女は日本語を流暢に話すことができ、性格はとても明るかった。

彼女が私たちにふと、「季節の変わり目のこの季節の太陽の光は、通常よりも紫外線量が多いのよ」と述べた。私はそうなのかと思い、窓際に長時間いることは避けようと思った。そのような夢の場面があった。そこからもまた別の夢の断片を思い出せそうだったが、それはうまくいかなかった。


小鳥の鳴き声が聞こえてくる。その小鳥はとても近くにいる。声の音量でそれがわかる。またどの辺りにいるのかも見えてくる。

小鳥たちとの生活。家の周りに存在する植物たちとの静かな生活。そんな生活が続く。


先週末に着手しようと思っていた滞在許可証の延長申請について、それは今週末にでも着手し始めたいと思う。来年はオランダ永住権と欧州永住権への切り替えを予定しているが、自分の中でオランダから一度離れる時期が迫って来ているように感じる。

仮にオランダを一度離れることになったとしても、いつかまた戻って来たいと思えるような国だ。母国に戻れない自分にとって、自分が戻れる国を持てたことを嬉しく思う。


今を生きること。その大切さを感じながらも、ビジョンとして未来の展望が開かれることがある。ここ最近は神学校への進学のビジョンがちらつく。

神学校でどれだけの期間学びを得るのか不明であり、もしかするとこのタイミングで博士課程に進学するかもしれない。そうなってくると、そこでの生活はまた長いものになるだろう。

進学先の大学院がどこの国になるのかはわからない。だがおそらくオランダではないだろう。

その国での生活を終えた後、フィンランドでの生活を始めるのか、はたまたスイスのドルナッハに行き、シュタイナーの思想が体現された実践共同体の中でその思想を探究していくのか。そのようなビジョンが遠くの方に見えている。


再び今に意識が戻って来た。引き続き小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。洗濯機も止まったようなので、今から洗濯物を室内に干そう。

今日も自分のライフワークが静かに進行していくであろうことを予感する。フローニンゲン:2021/5/26(水)08:01

6972. 新たな経済思想の規範性の確立に向けて

時刻は午前10時を迎えた。もうしばらくすると、今日は1件ほどオンラインミーティングがある。

晴れたり曇ったりを繰り返す天気が目の前に広がっている。雲間から差し込む太陽の光は暖かく、その輝きは美しい。


トランスパーソナル経済学を含め、新たな経済思想の規範性をいかに確保するか、そしていかにそれを高めていくかに関して探究をする必要があると思い、批判的実在論を活用したイギリスの政治経済学者であるアンドリュー·セイヤーの下記の書籍を購入した。昨日、一昨日に続けて学術書を購入する形となった。


·Why Things Matter to People: Social Science, Values and Ethical Life
·Realism and Social Science
·Why We Can't Afford the Rich
·Radical Political Economy: Critique and Reformulation


今はとにかく必要だと思った書籍は基本的に全部購入するようにしている。恵まれた経済状況を与えてもらったのは、旺盛な探究を通じてこの世界に寄与するためなのではないかと思う。こうした経済基盤があるからこそ探究が成り立っている側面があり、そうした経済基盤をもとに経済学の探究に乗り出している自分の姿を俯瞰的に眺めている。


トランスパーソナル経済学の創出に向けて、マネー空間と宗教空間の関係性を見ていき、抽象思考空間の特性を考察していく必要がある。マネー空間において無限に膨大するデリバティブは、宗教空間において無限かつ永遠なるものを求める人間特性と共通している側面が多分にあるだろう。

そもそも、デリバティブは人間が生み出したものなのであるから、その性質を理解する際に、無限や永遠を希求する人間の内在的な特性を蔑ろにすることはできない。この点に関して言えば、昨日購入した書籍が探究の手引きとなるだろう。

その書籍は、フロイトが指摘した死の衝動と破壊衝動の考え方を用いながら、暴走的な金融主義的発想とその仕組みを暴いているものである。暗号資産を始め、今後より一層経済的な実体が抽象的なものとなればなり、無限膨張的な発想が経済活動に購入し、その暴走が加速してしまうように思えてならない。

今でさえその無限膨張的な運動は手の付けようのないものになっているのだから、この問題にはなんとしても着手する必要があるだろう。経済の無限膨張的な運動そのものも、ティモシー·モートンで言うところのハイパーオブジェクトに該当するように思える。

地球環境の問題に関する探究を行っていく中で、やはり暴走する経済が地球に与えている影響についてより深く理解する必要があるだろう。ここ数日購入した一連の書籍はその理解を深めることに資するはずだ。フローニンゲン:2021/5/26(水)10:13

6973. 天命に導かれて/マルクスの生態系思想への接近

どこか天命に導かれ、使命感に駆られる形で探究が続く日々が続く。今日は午前中に、新たな探究テーマに関して必要となる書籍を4冊ほど購入したのだが、つい先ほど追加で12冊ほど購入した。

自分がどこに向かって研究を進めているのかわかっているが、それがどのような形で実を結ぶのかは全くわかっていない。自分の中で仮に実を結ぶことがなかったとしてもそんなことは全く関係ない。

自分の探究過程を通じて得られた事柄を共有することを通じて、後に続いてくれる人がいればそれでいいのだ。誰かがその共有事項によって認識を変え、日々の行動を変え、それが少しでも社会に良い影響を及ぼしてくれるのであればそれでいいのである。

日々の探究は、もはや小さな自我の計らいが一切介入しないような形で、バスカーの言葉で言えば探究テーマと「超越的的な一致」をする形で進行している。そうであるがゆえに探究エネルギーが無尽蔵に湧き上がってくるのだ。

人間というのは小さな自我の計らいを乗り越え、利他的になれば、こうもエネルギーが湧き上がってくるのかと驚く。エネルギーが枯渇してしまうという現象や、小さなエネルギーしか発揮できないという現象は、小さな自我に囚われていることが大きな要因なのではないかと思う。


先ほど購入した書籍のいくつかは、マルクスの生態系思想に関するものである。経済と宗教とのつながりに関する書籍は既に購入したいものを一旦全て購入していた。その一方で、経済と生態系とのつながりに関する書籍はまだ購入しておらず、先ほどいくつか書籍を購入し、そのうちの大半がマルクスの生態系思想に関するものだった。

そこから、仏教と生態学に関する書籍も購入した——その際に「宗教生態学」という学問領域があることを知る——。これによって、経済、宗教、地球環境の3つを包括的に考察していくことができるのではないかと思う。


マルクス。今から3年前に、大英図書館に足を運んだ際に、マルクスが何年にも渡って大英図書館に通い、『資本論』を完成させたことを思った。

マルクスは当時学術機関に所属しておらず、その点に今の自分と重ねてしまうものがあり、大きな共感の念を持つ。マルクスもまたアウトライヤーであり、アウトサイダーだったのだ。

マルクスが大英図書館に足繁く通っていたことを知っていた当時の自分は、マルクスと同じような気持ちで大英図書館でしばらくの時間を過ごしていた。あの時の自分は、マルクスと同じ空間を共有し、何かを感じたかったのだろう。マルクスから実存的·精神的な何かを汲み取りたかったのだ。

それから3年が経った。3年が経ってマルクスとこのような形で接近することになるとは思ってもいなかったことである。

なぜか気持ちが高揚している。自分の中の深い部分、それを魂と呼ぶのであれば、魂が高揚している。マルクスの魂と自分の魂が共鳴しているようなのだ。

その点で言えば、シュタイナーにも同様のことを感じる。経済生態系思想に関しては、シュタイナーとマルクス、そして仏教的な考え方核に探究していく。

それらの思想と現代の経済思想と関連付け、現代の経済思想を含んで超えていくトランスパーソナル経済思想を提示していければと思う。その際の手引きとなるのが、メタ理論としてのウィルバーのインテグラル理論、バスカーの批判的実在論·メタ実在論、フランクフルト学派の批判理論である。

先ほど購入した下記の12冊の書籍の到着が待ち遠しい。ここから自分でも想像できないような探究生活が始まる。


1. Marx and Nature: A Red Green Perspective: A Red and Green Perspective
2.Marxism and Ecological Economics: Toward a Red and Green Political Economy
3. The Return of Nature: Socialism and Ecology
4. Marx and the Earth (Historical Materialism): An Anti-Critique
5. The Vulnerable Planet: A Short Economic History of the Environment
6. The Ecological Rift: Capitalism's War on the Earth
7. Marx’s Ecology: Materialism and Nature
8. Political Ecology: Deconstructing Capital and Territorializing Life
9. A Political Economy of Attention, Mindfulness and Consumerism: Reclaiming the Mindful Commons
10. How Much is Enough?: Buddhism, Consumerism, and the Human Environment
11. Buddhism and Ecology: The Interconnection of Dharma and Deeds
12. Buddhism and Deep Ecology
フローニンゲン:2021/5/26(水)20:23

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