5951. 発達科学の研究成果の価値判断について:インテグラル理論の果たす一つの役割

時刻は午後7時半を迎えた。今週も早いもので、明日を終えれば週末を迎える。

気がつけば7月を迎えていて、おそらく気がついたときには今月末のアテネ旅行の日がやって来ているだろう。そして、そこから秋の日本への一時帰国もあっという間にやって来るような気がしている。

昨夜就寝前に、何気なく本棚を眺めていたところ、“Systems Thinking, Critical Realism and Philosophy(2014)”という書籍があることに気づき、パラパラと中身を眺めてみたところ、いくつか下線や書き込みがなされていて、随分と前に一読していたようだった。

内容についてすっかり忘れていたのだが、タイトルにあるように、ロイ·バスカーの批判的実在論についての言及がなされているため、改めてその箇所を読んでみると、得るものが多くあり、今日は群衆心理学の書籍を脇に置いて、こちらの書籍を読み返していた。

いくつもハッとさせられるようなことが書かれていたのだが、その中でも発達科学の研究成果の価値判断の問題に関連する記述をもとに考え事をしていた。

科学的研究は記述的であり、そこに価値判断は含まれるべきではないという考え方がある。確かに、真善美の括りで言えば、科学研究は真に該当するものであるため、科学的研究の成果をもとに「べき論」のような価値判断を行うことは慎むべきという態度がある。そして、こうした態度は発達科学の研究成果の取り扱いに関する議論においても見られる。

数年前までは私もこのような態度で発達科学の研究成果を捉えていた。しかし、教育哲学者のザカリー·スタインの書籍を読み、そうした態度や発想よりも一歩先に進んだ考え方があることに気付かされたのである。その点については以前の日記の中に書き留めていたのだが、今日もそのテーマについて考え、少しばかり補足的な考えが浮かんだ。

自分自身が科学研究のコミュニティーの中で研究をしていたこともあり、身を持って薄々感じていたことが本日明確なものになった。端的には、科学研究というのは、価値や評価を無菌化する形で進めることはできないという点である。

研究テーマの設定、研究仮説の創出、研究手法の選択、そこには諸々の価値判断がすでに混入している。そもそも、絶えず価値判断をしながら生きている人間が研究をしているのだから、それはそうだろう。

科学研究のプロセスの至るところに価値判断が混入し、そもそも科学研究とは先人の研究の上に積み重ねる形で行うものであり、そうした先人たちもことごとく固有の価値判断をもとに研究をしているのだから、彼らの研究成果や概念に立脚すれば、何重の意味においても価値判断が積み重ねられることになる。だから科学的研究成果というのは、どうしても価値負荷的(value laden)にならざるを得ない。

そうであるにもかかわらず、例えば発達研究の成果を取り上げる際に、「その発見事項について良し悪しの判断をするべきではない」というべき論は非常におかしいものであり——「発達研究に伴うべき論の矛盾性」とでも名付けることができるだろうか——、「その発見事項には何らかの価値判断も含まれておらず、純粋に記述的なものとして扱うべきである」というべき論もまた非常におかしなものであることがわかる。

そうした価値判断を避けようとする姿勢が、逆に発達研究をもとにした議論や実践を歪めてしまうのではないかと思う。重要なことは、そもそも純粋に記述的な科学研究など存在し得ないのであるから、得られた研究成果に対する価値評価に関する議論をより緻密なもの、より豊かなものにしていくことなのではないかと思う。真善美のどの領域も蔑ろにしないインテグラル理論の果たす役割の1つには、そうしたものがあるかと思う。

自然科学の研究ならまだしも、人間や社会を対象にした社会科学の研究成果が純粋に記述的であることは不可能であるという前提に立ち、そうであればいかような価値判断が求められるのかを慎重に議論していくことによって対話や実践を育んでいくことが大切になるだろう。

「発達研究で得られた成果は記述的なものであり、価値判断の伴うものではない」という主張は、善や美に関する思考停止状態の現れであり、そうした主張をしている限りにおいて、人間や社会をさらに育んでいくより豊かな対話や実践など実現しないだろう。

このテーマについては、ロイ・バスカーの「批判的実在論」をもとにすれば、もっと別の観点から考えを深めることができそうである。これまでの自分は認識論をベースに無意識的に考えを展開していることに気付かされ、バスカーが「存在論が認識論を決定づける(Ontology determines epistemology)——言い換えれば、beingがknowingを決定づける」と述べているように、あえて存在論に強く立脚する形で種々のテーマに対する自分の考えを深めていこうと思う。本日購入した14冊のバスカーの書籍はその基盤を形成してくれるだろう。フローニンゲン:2020/7/2(木)20:02

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