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ジョン・スチュワート・ミル著『自由論』(岩波文庫)読む。

面白かった。
これが書かれた背景。それまでのキリスト教や絶対君主などの権威が後退して、市民が自分で代表を選び、自ら地域や国のあり方をきめ、仕事を選び、活動する時代がイギリスに到来した。その時に、個人が自由に思索し、それを表現し、行動することが、その個人にとっても国家の繁栄にとっても究極的に重要なことであると説いている。
だからこそ、国家が個人の自由に介入する限界をどこに設定するかもその裏返しとして重要になる。
ベンサムに功利主義を学んだ父から英才教育を受けたミルによる論なので、社会全体の最大多数の最大幸福を実現するにはどうすれば良いかという観点がベースにある。価値判断や立論の仕方は功利主義的な叙述になる。しかし、社会ありき、社会全体が優先されるのではなく、あくまで個人の幸福が優先されるし。個人の自由を最大限保障することが社会や国家にとっても大きな利益をもたらすよという内容。その点で、専制をベースにした社会の作り方とは真逆である。専制を実現するための画一的な教育はノー。
第3章:幸福の一要素としての個性について、がアツかったので一部引用。こういう思想の上に今の私たちの暮らしが成り立っていると思うとやはりアツい。
「人類が不完全なあいだは、異なった意見が存在することが有益である。それと同じように、生き方についても異なった試みが存在し、他人に危害が及ばない限りで性格の多様性に自由な余地が与えられ、自分で試みることが相応しいと思うときには、異なった生き方の価値を実際に確かめてみることも有益である。要するに、当初から他人に影響がおよぶような物事でなければ、個性が自己主張するのが望ましい。本人の性格ではなく、伝統や他の人々の習慣が行為のルールになっている場合は、人間の幸福における主要な要素の一つであって個人の社会の進歩のまさに第一の構成要素でもあるものが欠けているのである。」
「欲求や衝動が自分自身のものである人、つまり、欲求や衝動が自分自身の本性の表現であるとともに、自らの陶冶によって発展を遂げ修正されている人が、性格をもつと言われている人なのである。」
「しかし今では、社会は個性に対してかなりの程度、優位に立っている。」
「各人の本領を発揮するために必要不可欠なのは、それぞれに異なっている人々がそれぞれに異なった生き方を許されることである。どんな時代であっても、こうした自由な広がりが与えられれば、それに比例して、構成の注目に値する時代となる。専制の下であっても、個性が存在している限り、専制の最悪の効果は生じない。個性を打ち砕いてしまうものこそが、なんであれ全て専制なのである。強制すると公言しているものが神の意思であろうが、人間の命令であろうが、また、どんな名称で呼ばれようが関係ない。」
次は、同じミルの『功利主義』を読んでみたい。

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