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ビー玉になった日①(はじめに/留学前に考えていたこと)

10ヶ月のスウェーデン・ルンドを拠点とした大学生活が終わった。「楽しかった」とか「大変だった」という一言ではまとめ切れない、たくさんのことが起こって、いろんなことを考え、いろんな感情を抱いた10ヶ月だった。もちろん、どんな人生でも一言でまとめられる10ヶ月なんてないと思う。10ヶ月というのは決して短くない期間であり、人がどのような人生を生きるにしても、何かしらの重要な変化が起こるには十分な期間だ。他の場所に留学した世界線の僕は、人生最大の運命的な出会いを果たしていたかもしれない。留学という道を選ばなかった世界線の僕は、一生追い続けたい夢を見つけていたかもしれない。だから、「ルンド大学への留学は最高の決断でした!」と自信を持って言えるわけではない。でも、僕にとってのこの10ヶ月は、この10ヶ月でなければ与えられない多くのものを僕に与えてくれた。そして、その与えてくれたものに対して、僕はとても価値を感じている。それは自信を持って言える。

ルンドでの10ヶ月を思い出すとき、必ず頭の中に浮かぶイメージがある。初夏の太陽が照らす、健康的で背の高い芝生の広場。その芝生の真ん中に、ひっそりと1つのビー玉が転がっている。大きくもなく小さくもない、ありふれたビー玉。透明だけれど、光の屈折の影響で虹色を帯びている。太陽の光を受けて控えめにきらめき、表面はほの温かい。このビー玉が、僕の経験の集合体だ。ささやかで温かみのある、不可侵の空間。つい1週間前までの経験なのに、そのイメージはある種のなつかしさを含み、1ヶ月よりも1年よりももっと昔の、原風景的なものを秘めた僕の古びた記憶の扉をノックする。でもそれは同時に、とてもみずみずしいイメージだ。
実のところ、僕の10ヶ月に実体としてビー玉が現れたことはない。でも、そのビー玉について語ることが、僕にとっての10ヶ月の記憶や認識をいちばん手っ取り早く誰かに共有する最も正確で有効な手段な気がしている。
象徴的な意味では、僕は10ヶ月をビー玉のなかで過ごしていたのかもしれない。

そんなふうに、ルンドを拠点として過ごした10ヶ月の記憶はとても独特な感覚を僕に与える。異質、といってもいいかもしれない。あるいは、独立している、というのも言い得た表現だ。社会、文化、風景、気候、関わる人々、食べるもの、住む場所、ことば、価値観、そんな自分を取り巻くものの一つ一つが、それまで僕が日本で経験してきたものとの連続性を欠いていた。もちろん個別を切り取れば似ているものや連続性を見出せるものもあったけれど、経験をありのままに総体的に受け止めれば、それはやはり異質というほかはない。そのためだろう、日本に帰ってきて実家で羽を休めている今、ルンドを拠点に過ごした10ヶ月がひどく非現実的なものに感じられてくるのだ。その10ヶ月をいったんわきに置いて、留学の直前と今を無理やり縫い合わせたとしても、なんとなく整合性が取れてしまうんじゃないかと思ってしまうほどである。それはちょうど、船を通すために橋げたが上がってまっぷたつに分かれた跳ね橋のようなものだ。橋の向こう側とこっち側にこれといった違いはないのに、その真ん中にぽっかりと空間が口をあけていて、人が何食わぬ顔で向こう側とこっち側を行き来することを妨げている。真ん中の空間を僕がまさに渡っていたそのときにはそこにとても連続的で確固とした何かがあったはずなのに、今振り返ってみるとそこには非現実性という名前の空間が口をあけているだけである。

でも、普通の跳ね橋と僕の経験では違うところもある。それは、跳ね橋と違って、僕の経験は無理やりふたつの橋げたを押し下げて繋げようとしても微妙に噛み合わないということだ。それは、留学直前の僕と、今の僕は、似ているように見えて内面的には何かが大きく変わっているからだ。確かにどちらの僕も実家で羽を休めているし、身長も体重もほとんど変わっていない。でも、僕は留学を経て多かれ少なかれ人間として成長したと思っているし、留学前に抱いていたいくつかの悩みは解決に向けて前に進んだ。逆に新しい悩みも持つようになった。人生観みたいなものも、向こうの文化や人々に影響されていくらか変わった。留学前に仲がよかった一部の人とは疎遠になり、ルンドやそのまわりで新たな人間関係ができた。何より、10ヶ月の記憶は刻一刻と薄れつつも僕の中に確かに残っている。そんな一つ一つの変化が、いかに非連続的であろうとも、僕の10ヶ月が決して虚無の空間などではなかったことを僕に教えてくれる。上がった橋げたの間にあったはずのものは、今はビー玉くらいのサイズに凝縮されて、僕の心のどこかに眠っている。

なんだかいちばん書きたいことはもう書いてしまったような気がする。でもさすがに抽象的が過ぎるので、そんな10ヶ月が僕に与えてくれたものについて、あるいは芝生に転がるビー玉について、もう少し具体的にわかりやすく描写してみようと思う。僕の記憶と認識すべてを文字に起こすことは無理な話だけれど、ビー玉くらいのサイズならなんとか描ききれるんじゃないかと淡い期待を持って。

留学前に考えていたこと

留学直前の僕の状態をひとことで表せば「いきづまり」だった。大学に入り、サークル活動やなんかに打ち込む中で、気の合う友人がたくさんできた。今までの人生にないレベルで、深く広く人と付き合うようになった。自分が思いきり息ができる場所はここだ、と思った。また、志の高い仲間と共に過ごすなかで、自分は果たして将来どうやって社会に貢献すべきか、自分はどんな社会を作ることに貢献したいのか、と考えを深めるようにもなった。サークル活動や人付き合いで毎日が目まぐるしく過ぎていった。コロナに直撃されたにしては、恵まれ過ぎた大学生活だった。

「いきづまり」を特に感じ始めたのは、大学に入って1年半ほどが経った頃だっただろうか。自分にとって理想の仲間やコミュニティを見つけてその環境に安住していた僕だったが、日本の社会は僕にそろそろ大学卒業後について考えだすようにとせっつき出していた。「理想の環境」にあぐらをかいていた僕は、コンフォートゾーンを抜けて次の一歩を踏み出すモチベーションを持てずにいた。早い話が、僕は当時自分がいた環境に依存していた。いくら理想的であるとはいえ、環境への依存はネガティブな影響も自分にもたらしていた。何よりも、自らの行動や思考の判断基準を自分ではなく外部環境に置いてしまい、「自分が何をしたいか」よりも「周囲が自分に何を求めているか」を第一に考える癖が定着してしまっていたように思う。そんなふうに、現状をなんとか打破する必要性も感じていながら、1年半をノンストップで走り続けてきた疲労が表面化してきたこともあって、僕の重い腰はなかなか上がらなかった。

そんな僕にとって、海外留学というのは渡りに舟のような選択肢だった。もともと大学のどこかのタイミングで長期留学は経験したいと考えていたから、その選択はそこまで勇気のいることではなかった。大切だったが自分を縛り始めていた様々なことがらから開放されて、まったく新しい環境に身を置いてまっさらな状態で自分を見つめ直すことは、僕にとってとても良いアイデアに思えた。また、大学に入ってから世界は広がった一方で、忙しい日々を過ごす中で視野が狭まっていたことも感じていたから、それまで自分を支配していた様々な前提から一歩距離をとってものごとをゆったりと俯瞰して見るきっかけとしても、留学は良い選択だと思えた。当時の僕の乏しい知識を総動員して考えるに、北欧というのはゆったりと時間を過ごすには最適の環境に思えた。もちろんその他のいろいろな理由もあったけれど、概ね僕はそのようにしてスウェーデンのルンド大学に長期留学をすることに決めた。留学当初に書いた文章の中で、留学の第一の目的について僕はこう書いた。「自分のために時間を使う」。

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