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「クルイサキ」#19

さくら 12
 
 さくらは亮太と亮太の母親と共に、川の近くにあるファミリーレストランに入った。さくらの隣に亮太が座り、向かい側に亮太の母親が座ると、亮太と二人してこれから説教でもされるかのような格好になり、つい俯きがちになってしまう。横を見れば亮太も同様で、自分の膝あたりに視線を落としていた。
 亮太の母親は本多千絵と名乗った。上目目線で彼女を見る。千絵は色白で目が大きく幼い顔立ちをしている。一目見たときは亮太の年くらいの子供がいるなんてすぐには信じられなかったが、よく見ると首元まで伸びた黒髪に白髪が何本か混じっていて、そこから一人の子供を育てた苦労と年月が想像できた。
 千絵は亮太とさくらの前にメニューを広げ二人の注文を訊いたあと、千絵自身はアイスティーを頼んだ。ウェイトレスが去ったあと、亮太に向かい大きな瞳を向ける。
「なんでこんなところにいるの?」優しい口調だったが、その声は微妙に震えていて、悲しんでいる印象を受けた。亮太は口を閉ざし、依然俯いたまま反応を示さなかった。
 亮太が返事をする素振りがなかったからか、彼女はさくらに顔を向け「あなたは彼女?」と訊いてきた。すると黙秘を決めたと思われていた亮太が突然口を開き「違うよ、そんなわけないじゃないか」と、必要以上に強く否定したものだから、さくらは負けまいと「ただの付き添いです。そんな関係なわけないじゃないですか」と胸を張った。だけど千絵は亮太の母親だったと気づいて、すぐさま背中を丸めて小さくなり、放った威勢を仕舞った。丁度運ばれてきたドリンクを口に含み、場を誤魔化す。
「亮太とはどんな関係なの?」千絵は鋭い眼光をさくらに向けた。
「さっき初めて会ったんです」
「じゃあなんで一緒にいるの?」千絵の口調は強くなった。
「亮太君が記憶をなくしたっていうから、大変だねって」まるで亮太の落としものを一緒に探していたかのような言い方をさくらはわざとした。なんだか問い質されているような気分だったから、自分は悪いことはしていないと暗に訴えてみる。
「あなたも記憶をなくしてしまった?」一瞬、冗談を言っているかと思い失笑した。しかし、千絵が真面目な表情をしたままだったので、さくらは姿勢を正す。
「いいえ、人並み程度にはあります。小学校のときも覚えていますが、亮太君と会ったという記憶はないです」さくらは面接を受けているかのように、いつの間にか膝の上に手を添えていた。
「記憶がないことをなんで彼女に教えたの?そんなこと他人に聞いてどうするつもりだったの」千絵の視線は亮太に向けられた。
「自分の過去を知りたいんだ」下を向いていた亮太はその格好のまま呟くように答えた。
「それが亮太にとって有意義なことだとは決して思えない」千絵は身を乗り出すようにして、亮太の顔を窺っている。すると亮太は顔を上げ、表情を一変させた。
「何でだよ。自分の過去を知ることが、そんなにいけないことなの。母さんがなにも教えてくれないから、僕は自分で調べて、記憶を取り戻すきっかけにでもなればいいと思っているのに」亮太は態度を変化させて反論した。視線は真っ直ぐに千絵へと注がれている。
 千絵はその迫力に少し身じろぎをして見せたのだが、了解することはなく、亮太の訴えをいなすかのように首を小刻みに振った。
「思い出さなくてもいい記憶だってある。つらかったことを無理に思い出して、亮太が苦しむ姿を見ていられない」
「母さんは僕がいじめられていたからそう思うんだよ。僕の十年前はいいことなんてひとつもなく、嫌なことばかりで消してしまいたい人生だったっていうことだ」
「そんなこと……」千絵はそう呟いたあと、言葉を吸い取られたかのように、話すのを止めた。悲しい表情をして目を潤ませている。どう亮太を説得していいのかわからず、思い悩んでいる様子だ。
「それでもいいんだ。たとえ僕の過去がひどいものだったとしても、僕はそれを知りたい。そして眠っている記憶を取り戻したい。そうじゃなきゃいつまで経っても自分が自分らしくなれないんだ」亮太はずっとこのことを千絵に伝えようとしていたのだろう、彼の言葉には強い意志が込められていた。
 そのとき、千絵の瞳から涙が零れ落ちた。取り戻すことのできない、過去の後悔に少しでも抵抗するかのような、そんな涙に見えた。
 彼女はハンカチで零れる涙を押さえ、そのあいだ、無言の時間がつづいた。まるでこのテーブルだけ時間の進み方が違っているかのように、周囲の喧騒から離され、孤立しているようにさくらは感じた。
 しばらくして彼女は顔を上げ、すっかり赤くなった目で亮太を見つめた。それから「亮太の言いたいことはわかったわ」と力なく言った。
 彼女はソファに置いていたバックを開け、封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
 さくらの目に飛び込んできたのは『い書』という文字だった。亮太は慌てた様子でそれを手に取り、封筒から紙を出した。紙を広げると『もう生きていけません。』と、それだけ書いてあった。
「あなたは死のうとしていたのよ」力なく呟いた彼女は、大事な人を亡くしたかのように絶望した表情をしていた。

「人が死のうとするくらいのつらい出来事をどうして思い出さなくてはならないの」千絵はもう涙を堪えようとはしなかった。止めどなく流れてくる涙でさえも、彼女の感情は抑えることができず、彼女の呼吸は荒立ち、身体は小刻みに震えていた。それでも彼女は十年前のことを語りはじめた。彼女の話を聞いているあいだ、さくらは彼女の身になっていたかのように当時の千絵を想像した。

千絵の話 

 亮太の小学校の卒業式の日を楽しみにしていたのだが、前日になって亮太は千絵の出席を拒んだ。あまりにも頑なに拒否をするものだから、千絵はその日卒業式には行かないで仕事に出掛けた。五時過ぎに仕事から帰ったのだが、亮太は家にいなかった。クラスメイトと遊んでいるのだろうとそのときは心配もしていなかった。
 それから午後七時ごろを過ぎ、少し遅いなと感じはじめたときに電話が鳴った。それは病院からの電話で、内容は亮太が意識不明の状態で病院に運ばれたと伝えるものだった。
 急いで搬送先の病院に駆けつけ、医者に亮太の安否を問い合わせた。医者は意識を失って倒れていたところを運ばれてきた、外傷はないのだが、まだ意識が回復していないこと、原因がはっきりしていないことを千絵に伝えた。ただ命に関わることはないと聞き、まずは胸を撫で下ろした。
 亮太が入院することになったので、いったん家に帰り、着替えを取りに亮太の部屋に入った。
机の上に卒業アルバムがあった。それを見たとき怒りと悔しさ、そして恐怖が襲ってきた。卒業アルバムはひどく落書きをされ、そのとき初めて亮太は学校でいじめられていたことを知った。思わず卒業アルバムを持ち上げて壁に向かって投げていた。そのとき壁には届かずに床に落下した卒業アルバムから封筒が出てきた。
 封筒には『い書』と、書かれていた。見た瞬間、全身が震えた。
混乱する頭のなかで、亮太は自殺を図ったのだと理解していた。これまで息子の様子に気づいてやれなかった自分にひどく腹が立った。
病院に戻り、まだ意識が戻らない亮太を見守りながら、彼がこれまで一人で戦っていたのだと思い胸が締めつけられた。彼を孤独にさせるわけにはいかないと強く思った。
 これから亮太を命に代えて守っていかなくてはならない。亮太を連れて、いまの場所から出ることを決意した。そうすれば亮太をいじめていた連中とも決別できる。亮太の意識が戻ったら、二人で新しい場所でやり直すのだ。
 卒業式に亮太が自殺したということはある意味誇りすら感じた。いじめられてつらい学校生活だっただろう。だけど亮太は卒業するまで逃げずに、戦いつづけたのだ。亮太のそれまでの葛藤を察し、涙が零れた。
 そしてついに亮太が意識を戻すときが来た。
 病室で亮太を見守っていると亮太が体を動かし、目を開いた。医者を呼び、亮太の顔を覗いた。瞳はまだうつろで千絵には気づいていない様子だった。
 やって来た医者が亮太に話し掛けた。亮太は私に聞こえないような声で担当医になにやら告げると、医者の表情が曇っていった。そして医者はこう告げた。
「記憶をなくしています」
 医者をはけのけ、亮太の肩を掴んで、じっくりと自分の顔を見せた。亮太は戸惑う素振りで千絵に「誰ですか」と言った。
「一時的な記憶の損失だと思われます。時間を掛けてゆっくりと記憶は回復するでしょう」医者は言った。
 だが、それからも亮太の記憶はよみがえる気配はなく、いつの間にか千絵に邪な考えが芽生えていた。それは頭に何度も浮かんで、ついには頭の片隅を占拠していた。それは亮太のいじめの過去、そして自殺を図ったこと、このことを亮太に隠してはおけないのか、千絵はその考えを考えるほど、亮太のためにも、そして自分のためにもそうすることが二人にとって幸せになることだと信じていった。
 数週間が過ぎたころ、医者から記憶はなくしたままだが、日常生活には支障がないということで退院を告げられた。それから引っ越しをし、新しい地で二人の生活が始まった。 千絵が想像していたよりも亮太は元気そうにしていた。ただ、千絵に気を使っているようにも見えた。千絵のことを忘れてしまったことが影響しているのだろう。それでも、これから二人で同じ時間を共有していけば、解決できることだと、千絵は納得した。
 記憶を失ったといっても、千絵が見る限り、亮太は新しい学校生活にうまく順応しているように思えた。それは千絵にとって幸せなことだった。
 大して思い悩む様子を見せない亮太を見ているうちに、千絵は記憶を無理によみがえらせることはないと次第に思うようになった。亮太がいじめを受けていたこと、自殺を図ったこと、亮太にとって不幸な記憶をすべてなくすためには、それまでのすべての過去を失ってしまってもかまわない。
 亮太に過去を話すことはしない。彼の記憶をこのまま眠らせることを千絵は決意した。
 亮太の母、千絵はさくらに当時のことを話した。

 千絵は話の終わりを告げるように、すっかり氷の解けてしまったアイスティーを飲み干した。亮太は彼女が話をしているあいだ、ずっと下を向いていた。その姿は痛みを堪えるために体を強張らせているかのようだった。つらい過去が記録されていくことに耐えているようにも思えた。
 だけど、それは亮太が望んだことだ。彼は自分自身が知らない過去を、例えその過去が受け入れたくないような悲惨なものだったとしても、彼はそれを必要としていた。
 想像していた通り、亮太は十年前いじめを受けていた。そしてそれが苦で命を絶とうとまでしていた。それほどにまで当時の彼は追い詰められていたのだ。
 亮太を窺うと「そんなの……納得できないよ」と、誰に言うわけでもなく呟いた。彼はさくらと視線を合わせ、申し訳なさそうな視線を寄越したあと、席を立った。千絵には言葉も視線も送らず、千絵を許せないでいることが態度でさくらに伝わってきた。
 テーブルには千絵とさくらの二人だけとなった。彼女は亮太に過去を伝えることは苦しかっただろう、彼女は精根尽き果てたとばかりに疲れを見せていた。
「追い掛けなくていいんですか?」さくらは千絵に言った。あの状態のままで亮太を一人にさせることに抵抗があった。
「しばらく私には会いたくないと思うの」寂しそうに彼女は呟いた。自分の力の無さを嘆くかのような言い方であった。うつむき加減の彼女は、顔を起こし、さくらを見た。さくらの存在にいま気づいたかのようだった。
「そういえばお名前もまだ聞いていなかったわね」
 さくらが自分の名前を伝えると、彼女は驚いた表情をした。
「あなた亮太に小説渡していたでしょ」
「なぜそれを……」恥ずかしさが込み上げてきて、それ以上、言葉が出なかった。
「病室にあなたの名前の小説があったのよ。亮太の荷物にあなたの小説が混ざっていたわ。失礼だけど読ませてもらった。亮太の意識が戻るまでのあいだ、あなたの小説に勇気づけられたのは覚えている。そのときこれを書いた人は亮太の大事な人だとずっと思っていた。なにしろ自作の小説を渡すぐらいだから。だからあなたの名前を覚えている」
 彼女は昔を懐かしがるように目を細め、さくらの顔をじっと見つめている。さくらは織田だけに渡したはずだった自作の小説が、いろんな人に読まれていたことを知り、羞恥心が大いに騒いでいる。
「もう一度訊くけど本当に今日初めて亮太と会ったの?」彼女の目が一瞬鋭くなったように見えた。 
「はい。なんで亮太君があの小説を持っているのか、私も知りたいんです」正直に答えた。
「だから亮太さんの記憶を取り戻す必要が私にもあるんです」さくらはそうつづけて千絵に言った。
 しばらく千絵は考える様子を見せたあと、おもむろに携帯電話を取り出した。
「わかったわ。そうしたら亮太が小学校六年生のときの担任の先生を紹介してあげる。その人に当時のことを聞けばいいわ」
 千絵は番号を読み上げた。さくらはそれを自分の携帯電話に登録をする。
「亮太に会いに行ってあげて」千絵はさくらに言った。さくらがまだもたもたしていると、彼女は急かすように伝票を取り上げ「さあ、お願いだから、早く亮太の所に行ってあげて。あの子は本当に一人ぼっちなんだから」と、さくらは背中を押された。


#20へつづく

「クルイサキ」#20

「クルイサキ」#1 序章 花便り

「クルイサキ」#2 一章 花嵐

「クルイサキ」#16 二章 休眠打破

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