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「クルイサキ」#24

さくら 15

 井口に紹介してもらった亮太のクラスメイトと会えることになったのはその週の土曜日だった。
 前日の夜に井口から連絡があった「この前言っていた生徒に話しておいたよ」ウォーキングをしながら話しているのだろう息遣いが荒かった。井口は約束通り、当時の亮太のクラスメイトに連絡をして段取りをつけてくれた。その井口の指示でさくらは現在ファミリーレストランにいる。
 土曜日の昼過ぎのファミリーレストランは家族連れが多く、賑わっている。前の居酒屋といい、井口が待ち合わせに指定する場所は、どこかずれていると思っていると、声を掛けられた。
 井口から十年前のアルバムで顔写真を見知っていたせいか、初めて彼らと会うというのに懐かしさを感じた。男性の山倉健二は写真で見た無邪気な笑顔の面影が残っていて、親近感が沸く。女性の清田さやかは写真では笑っていて細い目だったが、対してみると大きな瞳の持ち主であった。艶々とした黒髪が肩ほどまでに伸びて、清楚感を漂わせている。二人は並んでさくらに自己紹介をしたあと、さくらの向かい側に座った。 
 さくらは当時のクラスの雰囲気について尋ねた。
「僕らのクラスは五年からそのまま繰り上がって、担任も二年間井口先生に受け持っていただきました。だから特に六年のときはみんながクラスメイトの性格を把握していて、クラスの雰囲気は良かったと思います」
 当時のクラス委員長だったという健二が言うと、フォローするようにさやかが口を開く。
「男女みんな仲が良く、私から見てもまとまりのあるクラスだったと思います」
 二人は小学時代を思い出したのか、顔を見合わせて、照れたように同時に笑顔を咲かせた。照れ隠しからか健二は水を飲み、再びさくらと向き合った。
「井口先生から聞きました。亮太が記憶喪失になったと。小学校を卒業してから中学校の入学式のときに亮太がいないことに気づいて、なにか変だなとは思っていました。あとになって引っ越したのだと聞きました。なんで自分には伝えてくれなかったのだろうと思いました。だけど中学校で新しい生活に慣れるのにいっぱいで、そのうちにその疑問はすぐに消えてしまって、亮太がいないことが普通に感じるようになりました。あんなに仲良くしていたのに僕は亮太と連絡を取ろうとも思わなかった」健二は当時を後悔するように何度か首を振った。
「井口先生から連絡があって亮太のことを話してほしいといわれて、それから亮太と過ごした小学校時代を思い返しました。そうしたらいろんなことが思い出されてきて、亮太が急にいなくなったのに、なぜあのとき自分は亮太のことを気にしなかったのだろうと、当時の自分に腹が立ちます」
 健二に芝居じみたことはなく、嘘のない感情だったとさくらは感じる。
「亮太とはクラスのなかでも特に親しくしていました」
 それから健二とさやかは亮太の小学校時代を語った。
どの出来事が亮太の記憶を刺激するかわからない。さくらは亮太への伝え方をイメージする。井口に話を聞いたときのようにノートを広げ、ペンを走らせていく。健二が概ね亮太のことを話し、さやかが相槌を打つ。いじめのことは一切出てこない。
 もしも、亮太がいじめられていたのならば、二人はそれを知っていたのだろうか。話を聞いている限りでは、そんな雰囲気は見受けられない。二人とも好感が持てる若者で、亮太のことを語るときの二人の表情も素直で、なにか隠し事をしている含みはまったく感じられない。
 もしかして亮太は普通に小学時代を過ごしていたのではないかとさくらは思いはじめていた。二人の話を聞いている限り、亮太はいじめられるタイプではない。それに深刻ないじめ問題は中学生だというイメージがある。
落書きされた卒業アルバムの存在が亮太に深く傷を残し、いじめられていたと亮太は思っている。さくらは二人に当時のクラスでいじめはなかったのか、その可能性を口にした「そのときのクラスでいじめはなかったですか?」
 当時のクラスのリーダー的だった二人は、プライドを傷つけられたかもしれなかった。それでも、二人はしばらくのあいだ沈黙をつづけ、当時を思い返している様子だった。
「あのときのクラスに、そんな雰囲気はありませんでした」さやかが先に口を開いた。「そうだよね?」と彼女は健二に同意を求めたが、健二は首をひねり、口を開いた。
「実は六年生のときですが、一泊でスキー合宿がありました。その夜にみんなでお風呂に入ったとき、亮太の体にアザがありました」
 健二は言いにくそうにしていた。もしかして、井口から連絡があり、亮太のことを思い出しているときに、すでに頭にあったのかもしれない。さやかは初めて知ったのだろう、驚きの表情をしている。
「亮太が服を脱ぐとき、まわりを気にした様子だったから、声を掛けたんだ。あのときはなんでもないっていっていたけど、背中を気にした感じで、もう一度訊くと、ちょっとスキーで転んでアザができたんだ、と言っていた。だけど」健二はさやかの方を向き、弁明をするように言った。そして再びさくらに視線を戻す。
「そのとき見たアザは背中から両脇にかけて広範囲にありました。あれはスキーでできたアザではないです。亮太に訊いても、スキーで転んだと言い張るから、それ以上はなにも聞きませんでした。ただ、井口先生にそのことは伝えました」
「そのとき井口先生はなんて言っていました?」
「調べておくと言っていました。だけど当時のクラスの雰囲気からいって、クラスにいじめがあったということは考えられませんでした。特に亮太に限って、自分といつも一緒にいたし、亮太も明るく僕と接してくれていたように記憶しています。それから気になってしばらく亮太を注意して見ていましたが、やはり亮太がいじめられている様子はまったくなかったです」
 亮太が自殺を試みたことは、この二人は知らない。そしてその原因がクラスのいじめだったのかもしれないと彼らに伝えたのならば、どのような反応を見せるだろうか。
 目の前のさやかは悲しい表情をしている。本当に亮太を心配し、さらには亮太の体の痣のことも知らなかった自分を責めているのかもしれない。
 健二も当時の亮太を慮り、後悔の念を抱いているのだろう。さやかと同様な表情だ。この二人を見ているとやはりいじめはなかったのではないかと思えてくる。二人の責任感がさくらにまで伝わり、当時のクラスの雰囲気が想像できた。きっとこの二人を筆頭に、みんながクラスメイトを思い合うようなクラスだったのではないのだろうか。
 クラスにいじめはなかったとすると、それ以外の時間に亮太を苦しめていることがあったのかもしれない。体に痣ができるくらい肉体的にも痛みを味わって、どうしようもなくて亮太は命を絶とうとした。十年前、亮太は一体どんな苦境を背負っていたのだろうか。
 さくらが考えていると「亮太とは会えないんですか?」と心配そうな表情をして、さやかが言った。大きな瞳に見つめられ、さくらはすぐに返事をできなかった。
 亮太の十年前に記憶を失った原因がまだわからないうちは、彼らとはきっと会えないだろう。ただいじめが原因ではないのだとしたら、すぐにでも彼らに会わせてあげたい。亮太にも十年前にはしっかりと時間は刻まれていた。そのときに関わっていた人たちに会って、亮太にも十年前も生きていた証を味わってもらいたい。
 二人が真摯なまなざしでさくらを見つめている。さくらはこの二人のためにも亮太の過去を調べることが自分の使命だと感じた。亮太が十年前に記憶を失った理由が、クラスのいじめ以外にあるのなら、亮太と彼らは再会をしなければならない。記憶が失われたままだとしても、亮太と彼らは十年前、たしかに繋がっていたのだから。
 さくらは二人から連絡先を聞き、亮太との再会を約束した。別れ際に彼らが「亮太をお願いします」と頭を下げるので、さくらは自分の役割を再認識する。
 
 ファミリーレストランを出たあと、亮太に電話を掛け、明日会う約束をした。
 先ほど二人の話をきいて、本当にいじめはあったのかと、疑問が残る。
 亮太は卒業式の日に自殺を試みている。果たして自殺の原因がクラスによるいじめであれば、わざわざ卒業の日まで我慢をするのだろうか。いじめから解放される日に未来を閉ざそうとするのだろうか。
 さくらは彼らの話を聞いているあいだに妙な違和感を覚えていた。
 二人が話す亮太の過去の姿と現在の姿がどうしてもさくらのなかで結びつかなかった。もちろん、小学生から思春期を経て成人になる十年間で、人の性格なんてまったく変わってしまうだろう。だけどさくらは二人が話す亮太が、自分の知っている亮太のことだとは思えないのだ。まったく別人の話を聞いているような感覚をずっと抱いていた。
 ましてや、当時のクラスメイトが話す亮太はいじめられるタイプではない。では、なぜ十年前亮太は遺書まで残し、自殺を図ったのだろうか。
 健二の証言では亮太は体に痣があったという。亮太は学校生活以外のどこかで日常的に暴力を受けていて、それが苦で自殺をしようと思ったのではないか。
 では一体誰が亮太に暴力を加えていたのだろうか。
 小学生の生活範囲は限られている。学校生活ではないとすると、他には家庭での生活の割合が大半を占めるだろう。
千絵はなにか隠している。
 考えてみれば、亮太が記憶を失ったときのことは千絵の口からしか聞いていない。井口は面会に行っても亮太には会えなかったと言っていた。亮太の記憶が失われてから、千絵は亮太を連れて引っ越しをしている。まるで亮太と関わりのある人たちから逃げるかのように、突然に。
 千絵はきっと亮太が記憶を失った本当の理由を知っている。そして亮太の過去を隠している。
 どうすれば千絵は口を開いてくれるだろうか。このまま千絵に対しても、きっと彼女はなにも話しはしないだろう。なにかしら千絵に覚悟を決めさせるようなものが必要だ。
 十年前、亮太の記憶が失ったときと、織田の死の時期が同じで、亮太はなぜかさくらが織田に渡した小説を持っている。どうしてもさくらはこのことが気になる。なぜ亮太があの小説を持っていたのだ。
 そこで思考が行き止まり、さくらは大きく息を吐いた。稼動しつづけていた脳を一旦、休ませようと歩くのを止め、体を伸ばす。そして再び歩きはじめたとき、背後で気配を感じた。
 この前、井口の話を聞いたあともそうだった。あのときはお酒が入っていたので、気のせいだと思っていたのだが。
 さくらは歩くのを早める。やはり何者かが後をついてきている。立ち止まり正体を確かめるべきか、それとも走って逃げるべきかさくらが判断に迷い、背後をもう一度振り返った。
 そこには肩で息をした千絵が立っていた。


#25へつづく

「クルイサキ」#25

「クルイサキ」#1 序章 花便り
「クルイサキ」#2 一章 花嵐
「クルイサキ」#16 二章 休眠打破



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