見出し画像

自分を楽しませることの大切さ

未来に希望を持つこと

小学生の頃、中学生に憧れた。
「部活」で忙しそうな近所のお姉さんがかっこよく見えたし、小学校の「クラブ活動」とは違う種目がいろいろあるみたいで面白そうだった。
中学生になってからは、放課後遊んでる高校生に。
そして一人暮らしをするドラマの中の大学生に憧れた。

大人になるのはいやだと漠然と感じていた

「大人になる」って、毎日同じ時間に同じ場所に通って、決められた仕事をするんだろうな。つまらなさそう。

そう感じていたころを思い出すと、やっぱり「この先にあるもの」に興味を持てない時期はつらかった。

わたしにとっての『働く大人』の一番身近なロールモデルは父。
地元の私鉄鉄道会社の電気部(踏切の整備などをする部署だったはず)という、(文系のわたしが興味を持てない)仕事の詳しい内容は、何度聞いてもよくわからなかった。

そしてそこから自分の働きかたをリアルに想像することは難しかった。

今思い起こしてみると、父は夜中チラシの裏面に仕事を図解してくれたりしていろいろ楽しそうに説明してくれていたし、同僚ともよく飲みに行っていたし割と充実していたんだと思うんだけど、一番恐怖だったのはダイヤできっちり決められた時間に毎日決まった場所に通勤する、という『時間と場所が最大限に固定化された仕事』を当たり前にこなせる(ように見えていた)父と、全くそれができそうにもない自分とのギャップだったのかもしれない。

自分サイズに仕事をカスタムする

わたしは電車はもちろん、新幹線も飛行機も乗り過ごしたことがある。
時間が決まった乗り物がとにかく苦手。

なんとか頑張って落ちこぼれそうになりながら10年会社員やったけど、「通勤」から解放されたことが想像以上に大きな変革だった。
ただこれは全ての人に当てはまるとは全く思っていない。
そして当たり前だけど「会社員よりもフリーランスがいい」とも思っていない。

「今の」わたしには、この働きかたが合っている

ただそれだけなんだけど、通勤せずに営業時間も作業場所も固定しないという働きかたは、思っていた以上に自分に合っていた。
でもこうした結果に個人的な熱が加わると、「今の生き方最高!!」という謎のポジショントークになるので、あくまでも『今は』合っている、と言うにとどめたい。
いつ飽きるかなんて、誰にも約束できないしするつもりもない。

そしてこの働きかたは最初から目指していたものではなく、少しずつカスタムして、『育ててきた』働きかたであるということ。
お客さんとすり合わせながら『作ってきた』ものであるということ。
さらに、その『過程自体を楽しめた』ことにも、ただ働き対価を得ること以上に価値を感じているということ。

ときどき取材などで「いつから『旅するデザイナー』を目指したんですか?」と聞かれたりして、その度煙に巻いたりしてたんだけど、目指してないです。気がついたら旅と仕事をなんとなく両立できるようになってて、そう名乗ってみたら面白くなってきただけ。

企業や行政の枠組みで、働きかたが刷新されたり、副業自由化されたり、一見するといい改革のように見えることでも、全ての人にそれが当てはまるとは思わない。

働きかたや暮らしかたを「作る」ということについては、仲良くしてもらっている流動創生荒木さんのブログが腹落ちしたので、時々読み返している。

未来の自分のために今を楽しむ

今の「ひとり会社」という形を取りはじめてそろそろ5年目になる。
(早いな…。)
時々淋しくなったり不安になったりを繰り返しながら(淋しくなるとシェアオフィスに出社する回数が増える)暮らしているんだけど、自分一人で自分の機嫌をとりながら外向きの仕事を入れたり、クリエイティブへのモチベーションを保ったり、外向きに約束をしたりすることも大変なのに、正直前職でスタッフをまとめるチームとしてよく稼働してたなーという気持ちになったりする。

37年付き合ってる自分一人でさえ、手に負えないときがしょっちゅうある。

「デザインを提供する」という外向きのサービスを生業にする以上、根元の部分をあまりふらふらさせない、というのが結局一番の仕事。

心が健康でないときにしたジャッジで、これまで何度も後悔してきた。

心身ともに健康でいること。

本当にこれに尽きるし、一生付き合っていかないといけない自分をもっと楽しませてあげたいと思う。
先のことがわからないって、最高にワクワクする。

軽トラに乗って半月旅する37歳になるのは割と想定外だったので、いいぞいいぞ!と思いながら日々暮らしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?