わたしの手を取りながら89年の幕が閉じた|介護記録
こんにちは。
先ほど、ふとおばあちゃんのことが思い浮かんだのですが
今日は5月4日、ちょうど亡くなって半年の日でした。
おばあちゃんのテレパシーかな
大好きだったおばあちゃん
亡くなる前は、在宅勤務に切り替え
介護をしながら仕事をしていました。
亡くなった次の日、
わたしは火葬場で今の思いをスマホに打ち込みました。
そのメモを、今日ここに書き残しておきたいと思います。
11月4日(土)午前4:23
手をさするわたしの元で
ゆっくりと、小さくなっていく呼吸が止まる。
悲しみが押し寄せると同時に
やっと楽になってよかったね。と涙がこぼれた。
わたしは生粋のおばあちゃんっこで
たくさん遊んでもらった。
癌がわかったのは2年前。
癌は、肝臓、腎臓、肺、リンパ…
全身に転移していた。
悲しみに暮れつつも
この2年間で、就活をたくさんした。
遺影用の写真を撮って選んで、
お座敷にある遺影の写真を見ては
どんな先祖だったのかを聞いて、
おばあちゃん自身の人生を聞いて、
大事なものを預かって、
洋服を整理して、
畑を習って…
そして、毎週週末には
一緒にごはんを食べたり、買い物に出かけた。
近場のお店ばかりになってしまったが
それでも喜んでくれていた。
癌だと感じさせないおばあちゃんだったが
だんだんと歩けなくなり、
転倒し、入院する時もあった。
わたしは心配になって在宅勤務を始めた。
亡くなる1ヶ月ほど前から
訪問看護の方が来てくれるようにもなった。
みなさんとても親切で
感謝してもしきれない。
気丈に振る舞うおばあちゃんだが
最後はもう1人ではトイレにも行けなくなり、
呼吸器もつけ
具なし味噌汁しか飲めなくなってしまった。
その、味噌汁を
いつも「美味しい」と飲んでくれた。
そんなおばあちゃんは
亡くなる5日前わたしに手紙を書いてくれていた。
愛を感じて、涙がこぼれた。
わたしも返事を書いた。
手紙を渡すと、音読しながら読んでくれた。
初めは誰からの手紙か理解していなかったが
内容を見て
「あんたね」と喜んでくれた。
それから間もなく
とても読める状態ではなくなり、
間に合ってよかったと心から思う。
わたしは、たいしたことはできていないが
訪問介護師さんや、お友達にわたしのことを
「いちばんよか孫」
と紹介してくれていた。
それは、
今のお通夜やお葬式で
本当にいろんな人から
「あなたのおかげでおばあさんは幸せに逝くことができた。ありがとう。」
と言われ、本当にわたしの知らないところで
わたしを褒めていてくれたことを実感している。
そう言われるたびに
あつい思いが込み上げてきて
ぐっと涙をこらえて笑顔で頷くのが精一杯。
口を開けば
涙が止まらなくなりそうだった。
癌が発覚し
おばあちゃんがいる間は実家にいようと決めていたし、
一緒に終活もできた。
おばあちゃんの願い通り「家」で看取ることもできた。
法名に「和」を入れて欲しいという
おばあちゃんの遺言通り、
「和光」
という法名をいただけて、もう思い残すことはない。
住職さんが
「和やかな光でみんなを照らすように」
という意味があると聞いて
これからもそっと見守って欲しいと思った。
このことを通して
呼吸ができること
歩けること
食べること…
すべてがあたりまえではない。
大切な人には感謝を
伝えれるときに伝える大切さ。
それを改めて感じた。
こんなに悲しいのは今までにない。
そう思えるおばあちゃんと過ごせたことを幸せに思います。
2023.11.05
以上が
おばあちゃんが亡くなった次の日のわたしの思いと経験。
自分に厳しく我慢強い
周りには優しく
誰にも媚びずに正直に生きる。
器用で几帳面、
ものや自然を大切にし
日々を丁寧に生きる。
凄まじいほどの集中力と飽きない性格で
ツムツム、将棋、ボンバーマン、ナンプレ、粘土細工、手芸、畑、漬物、友達との旅行を楽しんでいた。
たくさんの孫、ひ孫に愛される、そんなおばあちゃんでした。
天国でも楽しんでいますか?
これからも見守ってね🍀