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#迷い #選択 #決断

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迷える子羊。
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#キャリア

「仕事楽しい?」にパッと答えられない時点で

「仕事楽しい?」 「人生、充実してる?満足してる?」 「順調に進んでる?」 こういう質問に対して、 「“楽しい”って、そもそもどういう状態だ?」 「“充実”の定義って何だろう」 なんて少しでも考えてしまうようなら、きっと満たされない何かがある。 本当に充実していたら、満足していたら、楽しかったら、己の直感が即座に働くはずで、「うん、充実しているよ!」なんて言葉がパッと出てくるのだろう。 いつだって、言葉の定義や解釈、普段難しく考えないようなことを難しく考え出す時は、

好きな仕事とやりたいこと、いずれかしか選べないとしたら

「人は一日の中で、何千・何万回と選択している」なんてよく言われる話だけれど、そういう選択はたいてい選択している実感すらない。 僕らがいつも「選択」と表現するのは、決まって人生に関する選択だ。 キャリアやライフイベントといった進路。 とりわけ、夢を追うか・諦めるかの選択を迫られる。 日常で何気なくしている選択みたいに、流れるように、躊躇いもなく選択できたら良いのだけれど、そういうわけにはいかない。 水回りの頑固な汚れのごとく、頭の中にこびりついて離れようとしない。

考えれば考えるほど、「やってみなきゃ分からん」となるけれど

動いている時間よりも考えている時間の方が長い時、「結局やってみないと分かんないよな」と意外と楽観的になれたりする。 ただ、考えている時間よりも動いている時間の方が長い時、「本当にこれで良いのかな」とか「もっとちゃんと考えた方がいいかな」なんて、あれこれ考えてしまう。 この塩梅だけは、年齢を重ねてもいまだに掴めない。 「やると決めたら信じてやり抜く」、これが難しい。 考えるのも動くのも、いずれも中途半端になってしまう。 「やる」の認識が甘すぎるのかもしれない。 少し

迷った末の意思決定は、迷わなかった時より強い

日々色んな選択と決断を繰り返している。迷うことは絶えない。 できることなら迷わない方が良い、迷わず選択できるならそれが良いと思っていた。 けれど、案外迷うことも悪くないのかもしれない。 振り返ってみると、過去に迷った末の決断が今の自分を形作っている。 一切の迷いなく決めたことももちろんあったけれど、迷わなかった選択よりも、迷って迷って迷い抜いた選択はその後、力強い意思決定になっている。 そりゃそうか。あれだけ迷ったんだから。 どんな選択をしても、その選択を遅かれ早

ほんの少しの新しさとか、挑戦で良い

現状への不満やモヤモヤ、変わらない日常や変化を恐れず突き進んでいく友人に対しての焦り。 すっかり慣れたけれど、こういう時はつい大きく考えてしまいがちだ。 「仕事を辞めようかな」 「転職しようかな」 「何か新しいスキルを学ばなきゃ」 転職や独立は分かりやすい変化で、しばしばSNSでも、退職エントリや【ご報告】から始まる丁寧な投稿が見受けられる。 そのような分かりやすい変化に見慣れているからか、自分自身が何か変化を望んだ時、真っ先に転職や独立を検討してしまう。 決してそ

今はまだ「選択と集中」する時じゃない

勉強に集中できない時のような「点で見た時の集中力」も、一つの仕事が長続きしない時のような「線で見た時の集中力」も、それらを高めるには、基本的に絞った方が良い、とされている。 英単語を覚えながら数学の問題は解けないし、仕事でも本業と副業を器用にこなしつつスキルアップを目指すのは大変だ。 「選択と集中」 優先順位をつけ選択する、選択したらあとは集中する、そうすることで目標を達成できたり成果を生むことができる。 そういえば、選択って必ず「1つ」でないといけないのだろうか。

選択肢は意外と限られている

人生、迷いの連続で嫌になってしまうけれど、幾度迷えど何やかんや乗り越えられている。 それは、選択肢は意外と限られているから、かもしれない。 「選択肢は意外と限られている」との前提を持って生きることは、諦めとも言えるのだけど、目の前にある選択肢の中からしか決断はできない。 何かに悩んでいる時、 ・目の前にある選択肢に納得できず新たな選択肢を模索している状態 ・目の前にある選択肢の中からどれを選ぼうか吟味している状態 ・そもそも目の前にどんな選択肢があるか分からない状態

何かを続けるより、辞める方が難しい

惰性で続けられることはあっても、惰性で辞めることはない。 何かを辞めるというのは、何かを続ける以上に、その意思決定に体力や時間を要する。 小中高と、一度始めたら最後までやり切るのが美徳と教わってきた。 部活や勉強、習い事、途中で辞めることは推奨されず、たとえ結果が出なくても、最後までやり切ればそれが賞賛される。 20歳になるまで、何かを辞めるということを経験したことがなかった。 物事を途中で投げ出さない人間性が自分の良いところと思うくらいには、継続力ややり切る力はあ

成長とかキャリアアップとか、一旦忘れたい

成長するために。選択肢を増やすために。 僕らはいつまで口にするのだろうか。 「何歳になっても貪欲に成長の機会を求めているんです」としておきたいけれど、成長した先、選択肢を増やした先に何を見ているのだろう。 何も見ていなかったりして。 何も見えていないから、その言い訳として、成長や選択肢という言葉を好んで使っているのかもしれない。 もちろん、逆算で人生を生きていくことが正解とは限らないから、積み上げの考え方で、まずは成長を追い求めるのも決して間違いではない。 けれど