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#迷い #選択 #決断

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迷える子羊。
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#日記

手軽になって失ったもの

パソコンでnoteの文章を読んでいてハッとした。 久しぶりに、じっくり文章を読んでいる気がする 普段、他のクリエイターさんの文章を読む時はスマホを使うことがほとんどだから気づかなかったけれど、最近自分の中で「読む」がただの消費活動になっていた。 何となくさっと読んで、読んだ気になって、気に入ればスキをつける。 その一連の作業、消費活動を、親指だけで惰性で行っていく。 元々それがしたくて文章を読んでいるわけではないのに。 - 様々なモノ・コトが手軽になった。 食

大切なものは、失ったとき、より大切になる

大切なものは、失ってはじめて気づく 文章を書くようになって、この言葉と向き合うことが増えた。 実際、自分のnoteにも度々登場しているフレーズだと思う。 大切なものが「大切なものだった」と、いつも失ってからしか気づけなかった。 それは、かなりの苦しみを伴うことで、手元に大切なものを残し続けるには、失い続けることを意味していた。 「得る」とは「失う」であり、「決める」とは「諦める」だと思う。 この先の人生もきっと、得る機会より失う機会の方が多い。 「得る」より「失う

適度なストレスがないと、かえってストレス

つくづく面倒な生き物だ、人間は。いや、自分だけかもしれない。 心の余裕が欲しくて、物理的な余裕が欲しくて、そうやって選んだ生き方だったはずなのに、どうして物足りないのだろうか。 忙しなさ過ぎると自分を削ってしまうけど、あまりにも余裕があると、それはそれでかえって満たされない。 何もせず過ごす日曜日と、何かしら予定が入っている日曜日。 前者の方が充実するような、そういう感覚。 例えば、責任があると期待やプレッシャーに押しつぶされそうになるけれど、その分やり切った時は何

得たから感動したんじゃない、喪失したから感動した

名越康文さん(@nakoshiyasufumi)さんが、以前こんなツイートをされていた。 はじめてこのツイートを見た時は、何となく「なるほど」と思ったくらいだったけれど、先日ゲーム実況で感動した際に改めて思い出した。 確かに、感動は喪失によるものかもしれない。 映画も本もゲーム実況も、ストーリーには必ず終わりがある。 ドラマチックな展開、作品から受け取るメッセージ以上に、ずっと触れていたストーリーが終わる、そのストーリーに触れていた自分が一旦いなくなってしまう、そうい

何かが始まると、何かが終わる

「始まり」は「終わり」なんだよな、と夏の終わりだからか、やけに考えてしまう。 社会人の始まりは「子ども」の終わりな気がするし、結婚生活の始まりは独身生活の終わりでもある。 noteで文章を書き始めると、“文章を書いていなかった自分”がそこで終わってしまう。 名作映画も見始めてしまえば、それを知らなかった自分が終わってしまう。 「記憶を消して、もう一度観たい」なんて表現があるけれど、名作や良いものに触れると、本当にそう感じる。 あれをまだ知らなかった自分、知らずに初め

何かを続けるより、辞める方が難しい

惰性で続けられることはあっても、惰性で辞めることはない。 何かを辞めるというのは、何かを続ける以上に、その意思決定に体力や時間を要する。 小中高と、一度始めたら最後までやり切るのが美徳と教わってきた。 部活や勉強、習い事、途中で辞めることは推奨されず、たとえ結果が出なくても、最後までやり切ればそれが賞賛される。 20歳になるまで、何かを辞めるということを経験したことがなかった。 物事を途中で投げ出さない人間性が自分の良いところと思うくらいには、継続力ややり切る力はあ

やりたくないことを、やらない

「やりたいことをやる」のは難しい。 だから、やりたいことをやっている人が眩しく見えるし、嫉妬もする。 やりたいことはそう簡単に見つからないし、やりたいことがあってもそれをやるのが難しい場合もある。 そう考えると、やりたいことをやる難易度はかなり高い。 けれど、いわゆる“やりたいことをやっている人”が、実は“やりたくないことをやらなかった結果、やりたいことをやれている”のだとしたら、何だか希望が持てる。 要するに、やりたいことを見つけるという足し算ではなく、やりたくな

「明日こそ」で過ぎ去った、数々の明日

「明日こそ」 そう決意して、一体何度の明日が過ぎ去っていったのだろう。 それは本当に明日じゃないとできないことだったのだろうか。 今日それに取り組むことは本当にできなかったのだろうか。 そんな後悔と嫌悪感も明日にパスできれば少しは楽だけれど、あいにくそうはいかない。 「明日」に夢を見過ぎなのだ。 今日できることを明日にやろうとする人間が、明日劇的に何か変化しているなんて、そんな淡い期待をするなんて、脳内のお花畑が満開過ぎる。 明日やろうは馬鹿やろう。 絶対に明

成長とかキャリアアップとか、一旦忘れたい

成長するために。選択肢を増やすために。 僕らはいつまで口にするのだろうか。 「何歳になっても貪欲に成長の機会を求めているんです」としておきたいけれど、成長した先、選択肢を増やした先に何を見ているのだろう。 何も見ていなかったりして。 何も見えていないから、その言い訳として、成長や選択肢という言葉を好んで使っているのかもしれない。 もちろん、逆算で人生を生きていくことが正解とは限らないから、積み上げの考え方で、まずは成長を追い求めるのも決して間違いではない。 けれど

背中を押されたいだけなのに

悩みを打ち明けるときは、たいてい背中を押されたいときだ。 何となく「こっちかな」と決めている選択肢があって、「それで良いよ」とあなたに言われたい、そんなときに悩みを打ち明けている。 きっと、あなたなら背中を押してくれるはず。 年齢を重ねて、自分のことは自分で決断できるようになった。 けれど、やっぱり最後はあなたに背中を押されたい。 決して、自分の決断に自信が無いわけではない。最後に「ぽんっ」と背中を押されると、一切の迷いが消えて動き出せるのだ。 「自立とは、依存先

消費だけでは物足りなくなってしまう

SNSを眺めたり、YouTubeで動画を観たり、好きなアーティストのライブへ行ったり、日頃たくさんの消費をしている。 今はインターネット上でのコンテンツが増えたので、消費活動のほとんどをインターネット上で行っている人が多いだろう。 自分自身も例に漏れずそうなのだけれど、最近消費に疲れたというか、純粋な気持ちで消費を楽しめなくなっている気がしている。 好きなクリエイターやアーティストに対して、一ファンとしての気持ちよりも尊敬の気持ちの方が強くなってきているし、休日のほとん