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#私

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等身大の自分。
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2021年5月の記事一覧

テニスを教えない、テニス部の先生

「恩師」と呼べる先生はいない。 それは別に先生が悪いわけではなく、自分が先生とよく話すような生徒ではなかったし、手のかかる生徒でもなかったから、先生との思い出深いエピソードが特にない、という意味である。 今まで僕と関わった先生に、「思い出深い生徒はいますか?」と聞いて回っても、きっと自分の名前は挙がらないと思う。 教員生活を何年も送っている先生にとって「生徒」は何百・何千人といるわけで、自分なんてOne of themに過ぎないけれど、生徒にとっての先生はそれほど多くな

文系の僕が唯一学んだ「恋愛工学」

僕が唯一学んだ学問といえば、「恋愛工学」かもしれない。 もちろん、大学時代「恋愛工学部」に所属していたわけではないし、そのような学問は実態として存在しているものではないけれど、大学に1年間しか通っていない自分からすると、唯一まともに向き合った学問がそれだ。 知り合いから面白いと紹介されて読むことになった、藤沢数希さんの『ぼくは愛を証明しようと思う。』という本(以下、ぼく愛)。 読んだのはもう4年前くらいで、正直内容はあまり覚えていない。 誠実でまじめな主人公が恋愛工学

やりたいことがない。「時間」がそう教えてくれた

大学生のうちは時間はあるが、お金がない。 社会人になるとお金はあるが、時間はない。 確かに、と思う。 これらの言葉には「やりたいことがあっても」という枕詞が、見え隠れしているように思える。 前者なら、やりたいことに注げる時間はあるものの、お金がないので多少の制限かがかかってしまう。後者なら、やりたいことをやれるだけのお金はあるものの、そこに割ける時間が制限されてしまう。そんなニュアンス。 僕自身は、これらの言葉の意味する「時間」・「お金」の制限をいずれもあまり感じた

努力できなかった。だって、限界を知ってしまうから。

世の中には、努力する人とそうでない人、つまり努力しない人がいる。 努力しない人の中には、努力できない人と努力することが“怖い”人がいると思う。 高校の部活の思い出なんて、人生長い目で見ればたいしたものじゃない気がするけれど、社会人になって、それなりに努力や成長について考えるようになったからか、「高校の部活」が今になって思い出深く感じられる。 僕は、高校時代努力をしなかった。 いや、今となっては「努力することから逃げていた」の方が正しい。 たまたま、小学校低学年からテ