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#アラサー #20代

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#アラサー

夢中になれない自分、夢中で探し物をする彼、無慈悲なビル群に佇む二人。

休日、人気がなく忙しなさから解放された、閑散としたオフィス街が好きだ。 チェーンのカフェ店を含み、コンビニ以外の店舗は軒並み閉まっていて、この街が普段いかに労働者で構成されているかが伺える。 無我夢中で仕事をこなす日々、なんて表現すれば聞こえは良いけれど、たいていは期限や数字に追われる日々で、そんな様子は側から見れば、ある意味無我夢中なのかもしれない。無論、僕自身も平日この街に溶ける労働者の一人である。 どういうわけか、いや、だからこそなのか、こうして休日もオフィス街に

まだ社会人という仮面を被っただけの、青くて不安定な僕ら

あれだけ「今か今か」と満開を待ち侘びていた桜も、いざ散ってしまえば、待ち侘びていたことが嘘だったかのように、僕らの頭の中から消えてしまう。 桜の花びらと希望を纏って歩いたあの日から、僕らはすっかり社会に揉まれてしまったらしい。 社会人1ヶ月目、想像以上に自分はできないヤツだと知った。 新しい環境、想像以上に自分は歓迎されていないと知った。 相変わらず、自分は何者にもなれないと知った。 あの日纏っていた桜の花びらも、希望も、たった数週間で十分すぎるほど踏み潰された。 下

24歳と365日、今思うこと

「明日誕生日じゃん、俺」 コーヒーを淹れながら、思い出したかのようにそう呟く朝が何とも日常的に感じられて、自分にとって誕生日がすっかり非日常ではなくなってしまった感じがして、少し淋しくなった。 - 自分が思う以上に、1年間で何かが大きく変わることはない。自分を取り巻く環境も、そして、自分自身も。 23歳と365日目、「今までの人生は、変化に身を任せすぎた」という実感があった。 だから、24歳の1年間は「自分から巻き込み、変化を作りたい」と決意した。 結果的には、思

何者かであるために、僕らは自分をアラサーと呼ぶ

僕らは、自分が「何者であるか分からない」と日々悩みつつも、何とか何者かであろうとしている。 「アラサー」 というのも、自分が何者であるかを表現するための一つかもしれない。 僕らは自分が何者であるかを表現する時、 といった要素で、自分が何者であるかを構成していく。 そこに、「アラサー」や「独身」といった肩書きも付け加えて。 少しでも華を持たせたくて、検定や資格、学生時代に獲った賞を何とかかき集めて履歴書を埋めていくように、「何者であるか」を表現しようとする。 ああ

25歳、息するように感じる不安と焦り

20歳を超えてから、希望や期待よりも、不安や焦りの占める割合が年々高くなってきている感覚がある。 何もしない時間を過ごせば焦燥感に駆られ、だらだら眺める画面の先の他人の人生に「自分はどうなんだ」と不安を感じる。 昔は、何も考えずただただ直感で生きていた。 もちろん、当時は当時の自分なりに考えてはいた。 けれど、年齢を重ねるにつれ、築き上げてきたものや得たものも、少しずつではあるがそれなりに増えてきて、徐々に“手放す”ハードルが上がってきている。 「やっちゃいますか!