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#余白 #ひと休み

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深呼吸。
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#考えたこと

都会の喧騒から離れても、都会にいた

都会の喧騒から離れても都会にいるような日々。 人混み、不必要な人生に対する焦燥感、不必要な言葉、リアルという喧騒から逃れようとして辿り着いた世界もまた、自分にはおそらく必要のない言葉や写真、映像で溢れていた。 地元、故郷。 幸い、そう呼べる場所があるけれど、いつしか、本当の自分でいられる場所に帰ってきた安心感よりも、優越感に近い安心感を感じたい自分がいた。 「ここなら都会で目立てない自分でも目立てる」 「あぁ、相変わらずここにいる人たちは野心も承認欲求もない」 どこ

長い人生を短い時間軸で生きてしまう僕らは

ふとカメラロールを開いてみると桜の写真でほとんど埋め尽くされていて、一瞬「今年の桜も綺麗だったな」なんて心が動きかけたけれど、「最後の写真が桜だなんて、普段写真を撮らなさ過ぎだ」という呆れと、予想外の暑さで滲んだ額の汗が、自らを現実に引き戻す。 奇しくも、いや、これはある意味現実逃避なのかもしれないけれど、余裕がない時ほど「あいつは今頃元気にしてるかな」なんて考えてみたりする。 あいにく、それをすぐに確認できる術もなければ、確認できる次の予定も決まっていないのだけれど。

小さなことで一喜一憂し続けたいし、大きなことに夢中でい続けたい

些細なことで傷ついてしまったりモヤモヤしてしまう人は、些細なことで喜べたり気持ちを切り替えることのできる人かもしれない。 「繊細」というのは、文字通り、すぐに壊れてしまう脆さを持ちつつ、そのさまが美しく魅力に感じられたりすることだ。 「小さいことは気にするな」 銀のコスチューム、かつてお茶の間でエンターテイメントとして消費したあの言葉は、他者の人生を平気で覗き見れたり些細な何かで溢れている現代を生きる僕らに、そっと寄り添ってくれる言葉だったのかもしれない。 とはいえ、

好きではないけど、嫌いじゃない。自分にとってちょうど良い表現

「自分の好きなところはなんですか?」 「好きなことはなんですか?」 「〇〇が好き」よりも「〇〇は嫌いじゃないかも」と考えたくなってしまうのは悪い癖だ。 好きなもの、と聞かれるとものすごくハードルが上がってしまう。 「そこまで好きじゃないしな」 「最近あんまりやってないしな」 なんて余計なことを考えてしまう。 人にはそれぞれ、自分にとって“ちょうど良い”表現がある。 前向きな表現において、アイデアがどんどん出てくる人もいれば、 一見後ろ向きだったり控えめに見える表

最近、小説を読む気になれない

「趣味はなんですか?」と聞かれれば、たいてい「小説を読むこと」と答えていたけれど、どうもそれが難しくなってきた。 かれこれ半年くらい全く小説を読んでいない。 どれだけ日々忙しなく過ごしていても、小説を読んでいる時間は特別で、心身ともにリラックスできる数少ないひと時だった。 ただ、最近は小説を読む時間が「もったいない」と感じている自分がいる。 自分は、読み始めたらそのまま最後まで読んでしまいたい人だから、一冊読もうと思ったら、少なくとも2時間程度は必要になる。 その2