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#余白 #ひと休み

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深呼吸。
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#人生

点と点が線にならなくても。いつかの自分が、都合よく、良い感じに、解釈してくれる

「真夏のピークが去った」と天気予報士がテレビで言って久しいけれど、あいにく、自宅にテレビを置いていないから分からない。 テレビを置かない生活を始めてから、7年。 2ヶ月に1度くらいはこうして腰を据えて文章を書くようになって、2年。 旧友と疎遠になって、かれこれ、何年になるのだろう。 毎日を精一杯生きている、と言えば聞こえは良いけれど、良くも悪くも日々を何となく生きていて、今日という「点」をむやみに打ち続けているだけのような日々。 だから、ふとした時に「あれからもう何年経

長い人生を短い時間軸で生きてしまう僕らは

ふとカメラロールを開いてみると桜の写真でほとんど埋め尽くされていて、一瞬「今年の桜も綺麗だったな」なんて心が動きかけたけれど、「最後の写真が桜だなんて、普段写真を撮らなさ過ぎだ」という呆れと、予想外の暑さで滲んだ額の汗が、自らを現実に引き戻す。 奇しくも、いや、これはある意味現実逃避なのかもしれないけれど、余裕がない時ほど「あいつは今頃元気にしてるかな」なんて考えてみたりする。 あいにく、それをすぐに確認できる術もなければ、確認できる次の予定も決まっていないのだけれど。

自分さえ知らなかった未来に今自分はいる

階段を右足と左足で交互に、リズミカルに降りていくように、日々何かが心に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。それを言葉にする暇もなく。 言葉にしたくなかった葛藤。 言葉になれなかった苦悩。 言葉にすべきだった恋心。 そういうものほど案外消えずにずっと残っていたりするわけだけれど、消えてしまったことさえ思い出せないような感情の方が、きっと多い。 何かを忘れたり忘れたことさえ忘れてしまう、失くした分だけ拾っていく、人生とは意外とそういう繰り返しで、どれもが刹那的だ。 後に

マラソンのような人生があるなら、散歩のような人生もあって良い

人生はマラソンのようで、マラソンでない。 みんな同じゴールに向かって走るわけではないし、優劣もつかない。 人の数だけゴールがあり、ゴールの数だけ道もあって、ペース配分は人それぞれだ。 「そもそも走らないといけないのだろうか」 スタートの合図とともに走り出さないといけないのだろうか。 走るペースが人それぞれなら、そもそも「走らない」というペース配分の仕方もあるはずだ。 「人生はマラソンではなく、散歩だ」 マラソンのように走っていたい人もいれば、のんびり散歩していた

「今」の優先順位が低くなると、人生はどんどんつまらなくなる

過去を嘆いたり、未来を憂いてばかりだから人生がつまらなくなるのではなく、それらの結果「今」の優先順位が低くなることで、人生はつまらないものになってしまうのかもしれない。 「あの時ああしていれば」 「明日の仕事嫌だな」 そう思い悩みながらSNSを眺めているうちに、いたずらに時間は過ぎ去って、適当に食事を済ませ、適当にシャワーを済ませ、またSNSを眺めながら歯を磨いて寝る。 自分の好きなものを食べたり、たまには少し凝ったものを作ってみたり、たまには湯船に浸かってゆっくりして

眠れない週末

眠れない。 いたずらに時間が過ぎていくのを、布団の冷たいところを足で探しながらただただ感じている。 眠れないのはどうしてだろう。 さっきまでブルーライトを浴びていたからなのか、今日はあまり疲れていないからなのか、それとも、何かやり残したことがあるからなのか。 眠れない時に限って、頭の中は忙しい。 日中頭を悩ませていた問題の解決策が思い付いたり、新しいアイデアが思い浮かんだりする。目を背けている何かに憂うこともある。 そうして冴え渡って、ますます眠れなくなる。 大

眠れない夜が好きだった

眠れない夜、眠る前のあの余白の時間が好きだった。 まだ幼かった時、真っ暗な部屋の中で僕は宇宙にいた。 人に話してもあまり共感されなかったけれど、眠れない時はたいてい、宇宙や死、「眠る」という行為について考えを巡らせていた。 真っ暗な部屋がそうさせていたのか、眠る前独特の心理がそうさせていたのか、はたまたただの好奇心か、どうだったのかは分からない。 「宇宙ってどこまで続いているんだろう?」 「死ぬってどういうことなんだろう?」 「眠る瞬間ってどんな感じなんだろう?」