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『武蔵野夫人』の鉄道

『武蔵野夫人』の中央線

 大岡昇平『武蔵野夫人』は〈はけ〉と呼ばれる崖地に住む人々の不貞を描いた作品であり、大岡の代表作の一つとされている。
 〈はけ〉は国分寺崖線とも呼ばれ作中の冒頭に詳述される通り、東京の西部、鉄道でいえば「中央線国分寺駅と小金井駅の中間」にあり

「かつて古い地質時代に関東山地から流出して、北は入間川、荒川、東は東京湾、南は現在の多摩川で限られた広い武蔵野台地を沈澱させた古代多摩川が、次第に西南に移って行った跡で、斜面は その途中作った最も古い段丘の一つ」

『武蔵野夫人』

といった地形なのである。本作はその〈はけ〉の日当たりのよい高みに建つ家の住人である秋山家とその近隣に住まう大野家にまつわる不貞を軸として展開される。時代設定としては作中に明確に「終戦三年目の六月」をはじまりとしており、つまり1948年が舞台となる。

 政治学者の原武史による放送大学の講義『日本政治思想史』のテキストの第13章『戦後の「アメリカ化」』および、第14章『戦後の「ソ連化」』において、東京西部が革新勢力の土壌となっていく背景を解説している。 
 米軍の駐留による風紀の乱れに対する国立での浄化運動、杉並区での原水爆禁止運動、そして砂川闘争といった民主的かつ反米的な運動が中央線沿線で起こっているという事実を指摘し、

 この沿線は関東大震災の後に宅地化されたところが多く、(中略)中央線沿線には大学が次々に建てられ、政治家や文化人、学生が多く住むようになり、特定の政党の地盤にならない無党派的ないし超党派的な政治風土が生まれました。

放送大学テキスト『日本政治思想史』

と沿線の特徴を説明する。
 『武蔵野夫人』はこうした運動が起こる以前を舞台とした物語ではあるが、主要人物の一人であり「はけ」の家に住む秋山忠雄は東京の私立大学に勤めるフランス語教師であり、原武史が指摘するような、中央線沿線に住む「文化人」として設定されている。まさに上述される中央線の風土に合致する人物として描出されているのである。
 そして秋山は近隣の住民であり、その妻と姦通することとなる実業家、大野英二がかつて雇っていた貝塚という共産党員の男との会食の場に呼ばれる。その席で秋山はエンゲルスを引き合いに出して自説を披露する。

「とにかくあの本の原始社会の記述が事実とすると、どうしても一夫一婦 制は不合理になりますね。昔、女はある一人の男だけと結婚することはなかなかできなかった。罰として結婚の前に多勢の男に身を任せなければならなかったんだそうですからね」

「(前略)一夫一婦にきまったのは、男の私有財産が、集団の共有財産より 優勢になって、疑いのない相続人を持つ必要ができたからだ。妻の不貞が監視されだしたのはそれからだよ

大岡昇平『武蔵野夫人』

こういった具合に、エンゲルスの理論を不倫の肯定として理解しようとする姿は、秋山の愚かさを強調し読者の笑いを誘う。その一方で自論の正統性を強調するために引用されるのが他の何でもなくエンゲルスであるという点に、原武史の指摘する「無党派の市民や新左翼の学生と親和性の高い中央線沿線の政治風土」を見出すこともまた可能なのではないだろうか。

 また、中央線における反米運動について原武史は前述の講義において「GHQが進めた民主化よりはむしろ駐留し続ける米軍によって、親米的というよりはむしろ反米的な性格をもつ下からの民主主義が根づいていった」と説くが、『武蔵野夫人』にも「下からの民主主義」の源泉となった米軍の駐留の様子が描かれている。

碧の濃い秋空にはどこを飛ぶのか飛行機の爆音に充ち、航空戦の演習の飛跡を残して、高く飛行雲が白い巨大な円を描いていた。

大岡昇平『武蔵野夫人』

狭山丘陵からの光景を描いた一節であるが、これは敗戦とともに米軍に接収された立川飛行場(=アメリカ空軍立川基地)から飛んだ軍用機を描いているのだと考えられる。立川基地は、先に述べた砂川闘争の舞台ともなっており、ここにもまた中央線に形作られる風土のみなもとが描かれているのである。

『武蔵野夫人』の西武線

 秋山忠雄の夫人である道子と姦通する宮地勉は、ビルマからの復員者であり五反田駅近くのアパートに在住している。彼は道子との思い出の場所である狭山丘陵に至る鉄道の車中での光景に触れ、ある感慨に至る。

 彼を東京からここまで運んだ郊外電車は広い武蔵野に点在したおびただしい学校の傍に停留所を持っていた。汚いなりをした学生が、待合所に腰かけ て、あるいは本を読み、あるいは虚ろな眼を発着する車輛に向けていた。各駅ごとにそういう青年たちを見て通って来たことは、勉に奇妙な印象を与え た。  
 彼らはすべて正確に彼と同じ社会的地位にあった。ともに貧乏で退屈して いた。彼らは多く共産主義を標榜していた。しかし「 必要」を強調して、自己の退屈を正当化している彼らは、彼には滑稽に見えた。彼らは戦争も「必要」から演繹していた。しかし戦争の実際を見た勉には、あそこに「 必要」では律し切れない狂熱と混乱のあったのを知っている。

大岡昇平『武蔵野夫人』

 ここで言及される「郊外電車」とはおそらく西武新宿線のことではないだろうかと思われる(中央線は複数箇所ではっきりとそう書かれている)。
 原武史によれば、西武沿線もまた『武蔵野夫人』の舞台より後の時代になってからの団地開発により、「中央線沿線に比べてよりソ連的な風景が現れることに」なる。また、ただ風景が近似するというだけではなく

 西武沿線には安保改定に反対する市民団体が相次いで生まれましたが、それは同時に「堤コンツェルン」と呼ばれる同族経営を続ける堤康次郎に対する反対運動でもありました。したがって安保闘争に敗北しても、西武が運賃値上げを発表するたびに沿線では反対運動が起こり、共産党が支持を集めました。国鉄の中央線とは異なり、巨大資本によって住民が搾取されるという、マルクス主義の窮乏化理論が当てはまる条件があったからです。

放送大学テキスト『日本政治思想史』

と、政治風土においても〈ソ連的〉な部分を持っていたと指摘するのであ る。そして、それが団地開発によって唐突に沿線に現れたのではなく、その前段階として沿線の「広い武蔵野に点在したおびただしい学校」に通う学生たちの共産主義への傾斜があったということを、『武蔵野夫人』は描出しているのである。

結論

 〈はけ〉をはじめとした地形や自然に関する詳細な言及が印象的である『武蔵野夫人』であるが、武蔵野を横断する二つの鉄道沿線の、後に展開されるその政治的な土壌の萌芽を克明に記しているという点において、本作は武蔵野の姿を正確、かつ多面的に描き出した作品と言えるのではないだろうか。


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