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書けるひとってすごい

『いんよう!』というPodcast番組を始めて三ヶ月になる。

一回、三十分程度で、十二回分なので、だいたい六時間くらい喋っていることになるが、何をそんなに喋っているのだろうという気持ちになることがある。
たしかに、仲の良い相手とふたりで飲みに行けば六時間くらい話せる。
けれど、それを文字におこしたら、本一冊分くらいになるのではないだろうか。
喋るのは圧倒的にアウトプットの効率がいい。
正確性も保存性も検索性も低いけれど、大量に何かの情報を出すのなら、「話す」以上の方法はない。
音声入力の技術が向上したのは、話すのがいちばん楽だからだと思う。
書くことは、楽しい作業ではあるけれど疲れる。
大変だから、「毎日書いてみましょう」という意見が出てくる。
トレーニングしないとコンスタントに文章を吐き出す体力ができない。

ふつう書く場合は、その場で情報が固定化されるので、内容を考えてから書く。
あとから直すにしても、話すときよりは、どういう文を書くかをひとつひとつ考えてから書く。
話している間は、考えるのとほぼ同時に情報が口から出ていくので、文法的にぐちゃぐちゃだったり、言葉が前後したりしている。
瞬間的に頭の中で言語化できる精度はその程度だ。
それでも、聞き手からすると、声の抑揚とか間とか大きさとかの情報で意味が分かるから、それで構わない。
ポスターやスライドを使ったプレゼンは、文字や絵や写真を見せながら話すので、ただ話すよりもさらに情報が多く、理解が進むしすごくいい方法だと思う。
だから学会での発表もそういう形式なのだけど、それでもちょっと分野が違うと分からないことが多い。
単純に話している内容が難しいからなのだけれど、生命科学は科学の中では平易なほうだと思う。
それでも度々おいていかれるのだから、物理とか数学のひとたちは一体どうしているんだろうと疑問に思う。
話を聴いて理解できないときにどうするかというと、結局、総説とか論文を読む。
読み手からすると、何回でも読めるし自分のペースで読めるから理解しやすい。

『ぷらすと』というインターネット番組(この前までWOWOW提供だったけどParaviに変わった)に、映画史研究家の春日太一さんというひとがわりと出ていて、毎回違うテーマで映画のことを話す。
それで、番組で話した内容が何回か本になっている。
最初から本にするつもりがあって喋っているのだと思う。
つまり、自分の出す情報を誰かに売り込むときに、出す側も受取る側も楽な音声形式にして、面白いかどうか見てもらっているんじゃないかと思う。
面白いから本にしましょうという話になれば、そこから本格的に文章を書き出す。
もともとある程度の書く内容は決まっているのだから、もし書く作業がすごく楽なのであれば、最初から全部原稿を書いてそれを編集者なりに見てもらえばいい。
もちろんそういうひともいると思う。
最終的にどちらが良いかは個人の特性による。

ここで話したかったのは、もっと単純に、話す方が速いとか、消費するエネルギーが少ないといったことなので悪しからず。

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