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楽しい

本を読み始めて、どうしても肌に合わず途中でやめてしまうことがある。

昔はそのたびに少し落ち込んでいたけれど、読書が好きなひとほど、どんどん新しい本に手をつけてだめなら次にいく、という話を聞いてから少し気が楽になった。
経験的に最初の30ページくらいを読んで面白くなければ、そのあとすごく面白くなることは稀だ。
途中で持ち直して、わりと楽しめたというケースはあるけれど、心に刺さって抜けないような本は、たいてい最初のページから面白い。
何にでも例外はあるけれど、確率としてははっきりと差があるように感じる。
わたしが最初のページからものすごく面白いと思う本も、別のひとにとっては、最初からずっとつまらない作品なのだろう。
読書は個人的な経験だから、ひとまずそれでよいことにしていた。

けれど最近、本当のところこれでよいのか、疑問を持つようになった。
ここ二、三年、毎クール四十本ほどTVアニメの第一話を見て、第二話以降は十本ほどに減らして最後まで視聴している。
十本全てを自分の好みで選べばいちばん楽しめると思うのだけれど、できればジャンルとしてアニメを追いかけたいと思うようになってからは、あえて面白く感じない作品の中でも、意味があると思えば見続けることにしている。
そして実際、途中から面白くなる作品がときどき出てくる。
そういう作品は、見ている中で楽しむべきポイントがわかったケースが多い。
幸運にも、わたしが作品のやりたいことに途中で追いつけたのだと思う。
だとしたら本だって、楽しみかたさえわかれば面白いものがどんどん増えていくはずだ。
本に限らなくても、漫画だって、映画だってそうだろう。

途中で楽しみかたがわかるようになるためには、しばしばある程度の経験と、ジャンル全体を俯瞰的に見る目線を必要とする。
作品外部の情報が作品を楽しむのを助けてくれる。
例えば、同じ作者の昔の作品を知っていれば、新しい作品もそれと比較して読める面白さがあるし、やりたい方向性を初めから理解して読み進めることができる。
そうやってポイントを掴むのが徐々に早くなる。
これには欠点もあって、せっかく新しい小説を読み始めたのに、過去の作品に似たようなものが思い浮かんできて、楽しさを見出せなかったりする。
むしろ、詳しくないひとのほうが楽しめるパターンで、こういうことを繰り返すうちにジャンル全体に興味を失うひともいるかもしれない。
けれど総体としては、あらゆる外部情報を使って楽しめるだけ作品を楽しむ、つまりは沼にはまって作品をあらゆる方向から楽しみ尽くすほうが得だと思う。

さらにはそんな中、比較とか予想とかの類がどうでもよくなるほどに没入してしまう作品に出会えたとしたら、そんなに嬉しいことはない。


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