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違う「言語」で話す

生命科学関係者の数学リテラシーはひとによって驚くほど違う。
数式を見るだけで気の滅入るひとから、物理学や工学の関係者と同じくらいできるひとまでいる。

先日、ディープラーニング開発者の講演会に参加した。
正確に言うと、開発チームとマーケティングの間のようなポジションのひとの話を聴いた。
専門的知識を持った上で、製品の宣伝や説明、交渉などに携わっている方らしい。

だから人前での話は慣れたもので、プレゼンのスライドもこなれていた。
が、しかしである。
彼はエンジニアの前で話すことが多いらしく、我々のような素人相手にどのように話せばよいか少し戸惑っているように見えた。
これは知ってますか? と、相手の知識を探りながらプレゼンを進める。
内容は初学者向けで、ディープラーニング、機会学習、AIといった言葉が何を指しているのか、から話は始まった。
けれど頻繁に、「線形」「行列」「n次元空間」などといった数学用語が混ざる。
もちろん大学で初歩的な線形代数を習っていればなんら問題ない。
わたしは、研究者になってから少しだけそういうことを勉強する機会があったのでぎりぎり大丈夫だった。
むしろ、行列のかけ算だけで、画像認識も自然言語処理もできてしまうディープラーニング(あるいは機械学習)のアイデアは爽快だ。
ところが、というかやっぱり、プレゼンのあとで後輩に聞いてみると、ディープラーニングの仕組みの説明はさっぱり分からなかったと言っていた。
仮に高校以来数学に触れていない状態で聴いていたら、私も同じ結果だったにちがいない。

普段から説明するのに慣れているひとでさえ、聴衆が違うと対応できないのだ。
相手に合わせて説明できるセンスをもともと備えているひともいると思うが、多くの場合、経験を積んで対応できる範囲を広げて行くのだと思う。
けれど、今回、彼にダメだしするひとはいるのだろうか。
みんな大人になったら、あそこの説明わからん、とはなかなか言い出さない。
理解した範囲で質問したり感想を言ったりする。
それが一種のマナーだし、そもそもダメだしするのって面倒だ。
話す側は相手の質問や感想から理解度を感じ取らなければならない。
しかし毎回、質問や感想をもらえるわけでもないだろう。
いっそ、理解度を試すテストでもやればいいと一瞬思ったが、やぶへびだ。

まさか彼も、一応「理系」に含まれている生命科学の関係者の中に、まったく数学に親和性のないひとがいるとは思っていないのだろう。
あるいは、もしかしたらいるかもしれないが、まあ分かっていることにして説明してしまえ、という瞬間があったのかもしれない。
これはよく分かる。
専門用語を使った方が説明は簡単だ。
使えば、すぐ終わる。
ディープラーニングの仕組みをひと言で表すなら、「最も適切な行列のかけ算を繰り返す」
これで、こと足りる。
どんどん先に進めるし、説明を繰り返す必要もない。

経済や金融アナリストの記事をたまに読むことがあるが、だいたい途中から何を言っているのか分からない。
一つ一つ用語を調べていけばきっとある程度は理解できるのだろうと思う。
やらないということは、そこまで興味がないのだと自分で思う。
消費税が上がったら経済にどういう影響があるのか、ざっとでいいから知りたいだけなのだ。
そもそもネット上で読める記事は一般向けだから、専門家から見たら簡単すぎる説明のはずだ。
何なら分かりやすくしようとして細かい所を端折った結果、不正確だったり誤解を招きそうな説明になっているかもしれない。
それでもよく分からない。

どうしたら効率よく分かり合えるのか考えてみたりするけれど、いいアイデアはない。
「言語」の違うひと同士が最低限の情報を共有するためには、ひたすら粘り強く誠実にやりとりするしかないんだろうなあ、という当たり前の結論にしかたどり着かない。

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