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感性が鈍る

若い頃のほうが感性が豊かで、新しい物を取り入れる力がある、という言説があるが、わたしは若い頃のほうが保守的だった。

確かに流行の曲やテレビ番組にはもうずっと昔に興味をなくしてしまった。
しかし若い頃のほうが、音楽や服の好みも狭かったし、ごく一部の小説しか好きになれなかったし、定食屋では特定の気に入ったメニューばかり食べていた。
ここ数年のほうが、昔は嫌いだったものや興味のなかったものを、「これはこれで、いいかもしれない」と思うようになった。

つまり、「感性が豊か」と「新しいものを受け入れられる」ということが、わたしの中では反比例していた。

間違いなく、純粋さという意味では、若い頃のほうが感性は豊かだった。
けれども、その豊かな感性は対象にたいする好悪を激しくして、受け入れられる幅を狭めていた。
年齢がいくにつれて感性が鈍くなり、「まあ、なんでもいいんじゃない?」と緩んでくると、楽しめるものが増えた。
定食屋で前回とは違うメニューを頼めるようになった。
好きじゃないジャンルの本を読もうという気になった。

一応、捕捉しておくと、研究でもなんでも長くやっているほど、新しい物が減ってくる。
大抵の結果やアイデアは、いつかどこかで見た物のバージョン違いにすぎない。
結果、まだ研究を始めたばかりの若い人が、「すごい!」とキラキラした目で感動するような論文や結果も、我々にはどこかで経験したものなのでそんなに心を動かされないことは、ままある。
これは単に知ってしまっているからであって、感性とは関係ない。

感性が鈍るというのは、物事に逆らう力がなくなった結果にすぎない。
鈍った感性は楽しめるものを増やしてくれて、生活するのが楽になる。

だから、感性が豊かじゃないことはいいことじゃないかな、と思うようにしている。


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