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結局、三千円の飲み放題に浮かれた喧騒が耳に残ってるうちにコンビニでぽとり買った白湯を冷やしていく夜風がいつでもいちばんうまいんだ。でもポテトは美味しかったから許す。あと冷やしトマトも許す(トマトが好きなので)。

私の勤め先ではごくたまに飲み会がある。

勤め先はベンチャーで同年代の層が厚く、たまに居所がないなと思うくらいに陽気のある環境なのだが、その分気を使う必要がないのはいいところ。しかもイケイケな若手の会社らしさをなぞるように、毎度懇親の目的で経費から会食代が出ている。これはタダ飯を食べに行かない手はないと、今日も腹を空かせて参加してきた(というより、会社の売上が私の賃金ではなく同僚の会食代になると癪なのでせめて食事代を浮かそうという魂胆の方が大きいか)。

店に入ると、同僚に何飲む?と聞かれる。だが私はお酒を飲まない。なぜアルコールを摂らないのかについてはいくつかの理由があるのでここに記しておこうと思う。

まず第一に、私はどちらかといえば酒に強い。

いや、アルコール分解能自体は人並みだが、理性があまりにも強すぎるためか所謂酒乱の気を帯びたことがほとんど無いのだ。毎度酒の席で自分の心のうちを解放している人間を見ると大変だなと思う反面、時には羨ましくもなる。きっと飲んでいる間だけは色々な問題や現実の厳しさを忘れられるのだろう。私はどれだけ飲んでも、羞恥心を捨てたり記憶を無くしたりすることができない。常に心はここにある(関係があるのかは不明だが、私は麻酔もあまり効かない)。

そして第二の理由に関わってくるのだが、私は非常にお腹が弱い。普段から動物性の脂質や辛いものを筆頭とした刺激物を全く食べられない胃腸の脆弱性を抱えているため、酒など投入した日には内臓が儚く脆く崩れてしまう。

これでも学生時代にはお酒が飲めた(大人な感じに見栄を張ってビールを飲んではしっかり気持ち悪くなって食事を無駄にしてみたり、お酒が好きな女の子とのデートでカッコつけて日本酒を注文して見せその実ただの苦い水だなと思いながら悪酔いしてみたりしていた)のだが、昨年コロナに罹患した際特大の胃腸炎(救急車コース)を発動してしまい、それ以来輪をかけて刺激物がダメになってしまった(そのときは身体の抵抗力こそ落ちていただろうものの結局病院でも直接の原因が分からず、それからは再発が怖くて意識的に胃腸に負担をかけないようにしているという側面も強い)。

ということで、私は理性を飛ばすほどのアルコールを飲むより先に、胃腸側にストップがかかってしまってそれ以上は入らなくなる。私にとって、酒という液体は飲んでも楽しくなるわけでもないのに体調が悪くなる悪魔の飲み物だ。

そして第三の理由、私はアルコールが入っている状態だと極端に睡眠に支障をきたす。

寝酒という単語があるようにアルコールが睡眠導入の役割を果たす体質の方もいるようだが、私は逆で全く眠れなくなってしまう(これは元来、寝つきがとても悪く睡眠が苦手である私だからこその現象であるかもしれない)。血中に酒の成分が入っていると血流が良くなりすぎるのか目が冴えてしまうのだ。

眠るのが苦手だからこそ日々の睡眠時間確保をなによりも大事にしている私にとって、酒はカフェインと並んで最大の敵である(カフェインも日没前かつ外出先での付き合い等特殊な環境でなければ摂らない)。

というような理由で私は酒の席でもソフトドリンクを飲んでいるのだが、これには良い点と悪い点がある。

まず良いのは、食事が美味しく食べ続けられるという点。特に今日の飲み会のように食べれば食べるほど得になるような場所では、ビールなどというコリス・泡ラムネソーダに並ぶ気体膨らかしメニューで胃の容積を使っている場合ではない。

加えてどうしても一度酒を口にすると私の体質では胃がもう「酒モード」に突入してしまってそれ以上の食事投入に堰を設けてしまう。炭酸以外のソフトドリンクが私にとっては最適解だ(下戸の友、ウーロン茶はカフェインが入っているのでもっぱらオレンジジュースが多い)。

ソフトドリンクならば、かなり長期的に食事を摂り続けられる。今日も野菜と牛タンを中心とした居酒屋にてコースが供されたが、談笑に忙しい同僚の隙を見てビタミン・たんぱく質を人一倍摂取することができた。タダ飯でこれはかなりありがたい。

そして続く良い点は頭が常に冴え渡っているので会話の受け応えに困らず、ベストな選択肢を常に選び続けられることだ。

生まれ落ちた時から人間とのコミュニケーションに難しさを抱えていた私の脳内では、日々の会話はまるで恋愛シミュレーションゲームのようなUIで表される。ABCの中から相手の反応をいかに引き出すかに重点をおいた発言選びをノータイムで迫られているような感覚だ(しかも正解がその場ではわからないのがむず痒い)。

そこをいくと、べろんべろんのべらんめぇとなっている人間で溢れる飲み会の場で彼らの相手をするのは、明晰な頭脳を(素面のおかげで)獲得している私にとってなんら難しいものではない。普段の会話がハードモードを超えて海外版の難易度が遊べるヨーロピアンエクストリームさながらの極限遊戯であろうと、一旦相手の頭脳レベルが下がってしまえばイージーモード。適当に相槌を打っているだけで場をどかっと反応させることができ、そのうち勝手に次の話題に移ってくれるのだからこりゃコストがかからない。

この「酔った人間の会話相手」という遊びが楽しい瞬間がよくあるので、飲み会も捨てたもんではないと思っている(慣れてくれば酒が深くなってきた友人を、口八丁の労いや褒めで涙させるといった愉しみもある)。

一方の悪い点。シンプルに、コストパフォーマンスが悪い。

なぜこうも飲食店というのは酒を飲ませたがるのか。学生時代、少食だった私はサービスとしての大盛りが本当に余計なお世話だと思っていたと同時に、多いのが嬉しいことだと思うなよ、と飲食業界に一矢報いたい気持ちで胸がいっぱいだったのだが、それと似たようなことを今は酒に対して感じている(今は大食いなので大盛りがありがたい。やよい軒さん、おかわり無料ありがとうございます)。

いや、飲食店側の事情もわかる。酒は世の中の多数が好きだし、単価を上げやすいのだろう。正直無料で茶や水を用意するなら、安い原液でも330円が取れるサワーを提供したい。

しかしながら、ソフトドリンクを「日陰者」にする必要はないだろう。サワー系以外にもカクテルや果実酒をはじめありとあらゆる趣向を凝らして客の味覚を楽しませようとメニューを充実させているかたわら、ソフトドリンクのラインナップはメニュー表の端の端の狭小エリアに追いやられていて形見が狭い。烏龍茶、オレンジジュース、コーラといった下戸にはお馴染みの面々ばかりで、サワーの混ぜ物で一応作れますといった気合いのなさが透けて見える(たまにアルコールメニューの流用でトマトジュース、キウイジュースなど栄養がありそうできちんとおいしい飲み物があると嬉しくなる)。

お酒を飲まない人間にも「飲む」楽しさがあるお店は好印象。たとえばブリティッシュスタイルでお酒が楽しめる「HUB」ではノンアルコールカクテル類もかなり充実している。おすすめはブラッドオレンジジュース(ただオレンジジュースが好きなだけだが)とミルク感たっぷりの「大阿蘇牛乳」を注いでくれるミルク(店舗や日によって違いあり)だ。

しょぼくれた薄いオレンジジュースに330円か…と思うと、どうしてもなんだかなぁという気持ちになってしまう。550円出すから、美味しい100%のオレンジジュースを一杯くださいよ。

そしてもうひとつ、和食ディナーのお店を探そうとすると居酒屋ばっかりになってしまうというのも私がアルコール正義な外食事情に対してうーんと感じる点だ。

イタリアンや韓国料理、洋食などはまだいい。レストランという店舗形態が充実しているから、たとえばチェーン店がはばかられる(という風潮も私はなくていいと思いますけどね。胸を張ってカプリチョーザとかに行ける関係が素敵なんじゃないですか?)大切なデートであってもいい雰囲気の店を予約しやすい。ところがどっこい、和食ジャンルときたら、昼間は落ち着いて美味しい定食を出していたのに夜になると急に"居酒屋"になってしまうのだ。こまった!私はご飯とおかずとお味噌汁が食べたいのだ!"肴"じゃなくて"魚"が食べたいんだ!

結局、酔っている客自体の質がよいと思われる相当にいい和食居酒屋でご飯と味噌汁を注文するという選択肢をのぞくと、大戸屋とかやよい軒しか夜に定食を出す場所がないのは問題だと思うのだ。その辺の和食居酒屋ではガヤガヤとしていてゆっくりと話をしながら静寂の中味噌汁をすすっといただく雰囲気ではない(ひとりであれば私は鳥貴族でお酒の代わりにご飯セットを注文する。これはかなりいい食事になる)。おぼんdeごはん、こめらく、夢庵等、大衆定食チェーンから一歩背伸びした価格帯の定食屋はあれど、やはりディナーのデートに選ぶには若干の役不足(誤用)感が否めない。

こちらも結局は、知らない店に行くのが正義だという風潮に押されてチェーン店を避けてしまう私と、酒を出さないと営業上利益が出にくい個人経営の規模感の事情がマッチしていない故に起こっている弊害だと思われる。

さて、ここまでつらつらと語ってきたが、恐ろしいのはこれ(飲み会の帰りの電車で書いている文章)が完全に素面の人間から出力されているということだ。私は酒が入っていなかろうと、頭の中の駄文をずらずらと並べて聞いてもいないことを語り続ける「酔っ払い」ムーブができてしまうところが自分でも才能だと思っている。酒に酔わずとも、自分に酔えるとでもいうか、しかし少しは、さっきの飲み会の楽しそうな喧騒に当てられてアルコールが入った気になっているのかもしれない。ノンアルのビールでなんとなく酔っている感じがするのと同じように、これが錯覚ではない保証はどこにもないのだ(酒は関係なくただの深夜テンションである気もしてきた)。

結局、この年齢(20代中盤)になって、酒の席というものを純粋に楽しめる大人にはならなかった。どこかひねていて、雰囲気はオルタナティブを気取っているだけの病弱な人間。それが私です。でも、お酒という娯楽が自分の人生に今後存在しないということはあらゆる面でリスクのない人生であり、幸福だとも感じる。酒に呑まれることも、体調を悪くすることも、無駄に金を使うこともない。お酒好きな方には考えられないかもしれないが、私は本当にそう思っている。

いちばん好きな飲み物はサントリー南アルプスの天然水、ブラッドオレンジジュース、トマトジュース。次点でQooスッキリ白ぶどう。こう胸を張って言い切って生きていく。そこにアルコールの香りは少しもない。

余談:好きなアルコールが唯一ありまして、パストリーゼです。助かってます。

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