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私の死生観について

最終面のその先を

数年前のとある夏。夕方、勤め先からの帰り道。自転車を立ちながら漕いで、いつもの道を自宅へ急いでいた。あぁ今日も仕事が終わった、帰ったら何を食べよう、何をしてから寝ようかと考えながら、ただひたすらにペダルを踏み込んでいた。車通りの激しい、千葉市稲毛区のメインストリートにさしかかる。そのとき、一瞬、私の前輪が側溝脇のコンクリートの割れ目に落ち、はまり込んだ。タイヤが持っていかれて、スピードと勢いそのままに車体が一回転。私の身体は大通りに投げ出された。

死んだな、と思った。

走馬灯とかそういう大それた演出はなかった。あぁ、こんな仕事終わりのダサい服で。髪型も顔もやっていなくて、全く、棺桶に入るにしては理想通りの格好ではない。まぁでも、そこは葬儀屋が死化粧をうまくやるんだろうと思った、ただそれだけ。

しかし、待てども私は死ななかった。

そのときだけは、赤信号のタイミングだった。私は打ち付けられた身体の痛みに道路の上で身動きが取れなかったが、そこに車は来なかった。結局そのあと、そこを通りかかった歩行者の方に声掛けをいただいたり、警察の方のお世話になったりして病院に運ばれた。命は残ったが、手を中心に怪我が多少あり、治るまでの期間が痛みで面倒だった。

その一件で感じたのは、死はあまりにも身近で瞬間的だということ。悲劇的な音楽もドラマチックなカメラワークもない、ただただ、ぽとりとその人生にいつか訪れる。そして本人にとっては(今の私にとっては)自分の容姿くらいしか後腐れの残らないくらいになんでもないイベントだということ。

私があの夏、死ななかったのは信号が赤か青か(黄色か)の気まぐれでしかなかった。そして思う、あの夏以降、私の人生が続いているのは単なる「気まぐれ」なのだ。誰の選択も影響しない、二つに一つの確率の話。

ここから先は、ボーナスステージだ。一生懸命にゲームをクリアして、ボロボロになりながらも最終面まで行って、運良く条件を満たしていればそのあとに始まる、お遊び的にスタッフが仕込んだ隠し面。私の人生はそれ以降、あってもなくてもあり得た。だが、ある。

それならば、好きに生きたらいい。これ以降は、何も背負わなくていい。どうせ存在しなかったコンティニューの先を、幸運にも与えられたもうひとつのコインで死ぬまで続けたらいい。

そう思って、今日も生きている(このnoteを書くまでの日々が、あの夏に観ている長い長い走馬灯の一部である可能性だって否定しきれないんだけど)。


メメントモリ

私の人生における座右の銘は、いつの日か(高校生の頃、同じ名前のMr.Childrenの曲を聴いたそのあとで)観た映画『ファイト・クラブ』に出会ってから一貫している。「Memento mori / Carpe diem」つまり「死を忘れるな / その日を摘め」だ。

人間(に限らず多くの生物)には死が待っている。今のところはどうあがいても、生物学的いち個体としての私は永遠に生き続けることができない。いつか必ず死ぬ。そしてその日はいつやってくるのか、誰にもわからない。それならば、いつ死んでもいい準備をしておくべきだ。いつ死ぬのかわからないのだから、今日を精一杯生きたほうがいい。

夜、眠っている間に気づかず命を落とした男は死んだと言えるのか。生物としては間違いなく死んでいるのだが、その男の自我が死を自覚していない以上、彼はまだ眠り続けているともいえないか。

いやむしろ、私たちが毎晩行う「床に就く」という行為自体、日常的な死ではないのか。このまま目覚める保証などどこにもない、病か事故か、第三者の故意か、さまざまな危機を孕んだ状態で身体を無意識に預けることは、愚かな微睡みへの入水に他ならないのではないか。

そう考えてから、私は毎日を、命日にしてもいいと思いながら過ごしている。希望はないが、絶望も悔いもない。そこには限りなく鋭敏で緊迫した一日の繰り返しが、ある。


健康について

そう書くと誤解を招きそうだが、私は健康ではいたい。苦しみたくはない。最期の時を迎えるなら、それを悟らず、眠っている間にすべてを終えたい。そのためには、身体を労り続ける必要があるのだが、一方で下手に長生きをして認知能力を落とし、醜態を晒して世界に迷惑をかける前にはそれを終わらせてほしい。これは20代の私から、不覚にも老いた私への最後通告である。


反出生主義

出生の問題についてを論じていくと哲学の領域に突入し、客観的な答えを導き出すことは難しくなる。人間は生まれた方が幸せなのか、生まれてこない方がいいのか。先人たちの思想もそれを解決しようと試みてきたが、いまだに誰しもを納得させる答えは明かされてこなかった。つまり今のところ、それを私個人がどう感じるかの問題でよいということで、ここには個人的思想を記す。

私は分別がついた頃から、子供という存在にそれ特有の魅力を感じないことに気づいた。街ゆく子供、メディアでもてはやされる子供、フィクションに描かれる子供、友人が「可愛い」と言うそれ。全くもって、私にはとくべつ魅力的に映らない。

子供、と言うが、ただの小さい人間だ。私自身がそうだったように、そこには自我があり、欲望があり、醜さも卑劣さもある。しかしそれを「子供だ」というカテゴライズが押し潰し、純情と未来の名の下に蔑ろにしてゆく。私は人間でいたかった。見るからに周りの奴等も人間だった。それでも私たちは「子供」でいなければならなかった。その果てしない絶望感が、当時の私を覆い尽くし辟易させた。

それに私は他人に対する好意ほどに自分のことを好きだと感じていない。いつからか自分の不甲斐なさ、力のなさ、理想との遠さに絶望し、自分を好きで居続ける体力がなくなった。

私は自分の子孫を残したいと思わない。自分の遺伝子を、これ以上この世界に増やしたいと思わない。莫大な金銭的負担と精神的負担をかけるほどに、私自身の子供を持つことには魅力がない。生育の過程に学術的興味こそあれど、それは私が研究しなければならないことではない。

だが、私は他人が子供を持つかどうかについては全く問題視しない。むしろ、集団を存続させるために個体数が増えるのは素晴らしい出来事だ。未来の納税者を産み育てていただく努力に敬礼、世の中の親御さんたちには限りない敬意を。その点で私は反出生主義ではない。


生きた証を残す

ひとは何のために生きているのか。私も大いに悩んだ。私の人生の目的とは何か、なぜ生まれてきたのか、なぜこんなにも苦しいのか。そしてとうとう、自分の身体と心を壊してまでも(あるいはそのフリがうまくなっただけで)答えに辿り着くことはなかった。人生に与えられた意味などない。

ならば自分で意味を設定すればいい。いや、意味を与える必要すらない。ただ生きていく中で「まだこれが終わるまで今すぐ死ぬ必要はないか」というタスクや予定(私はこれを命綱と呼んでいる)を作り、それを消費しているだけでいい。

何かを生み出さなければならない、名を残さなければならない、と葛藤した日々もあった。何の才能もない一般人Bとしてこの世界を去ってゆくのかという予感に恐怖した。

しかしあるとき気づいた。私は生きているだけで充分、その証を残し続けてきたじゃないか、と。

生まれてから今まで、たくさんのひとに出会った。目を合わせ、他愛のない会話をして笑い合った。泣かせて、泣いた。怒った。怒られた。ともに競い合った。遊んだ。ひとを好きになった。好きだと言ってくれた。傷つけた。自分を責めた。前を向いた。街を歩いて、また誰かに会いに行った。

私のことばが自分の外に出た。音楽に載った。メロディに連れられていった。あるいは文章となって読まれる場所に置かれた。それをいくらか感じる人がいた。

ここには書ききれないくらいに、私の人生における一挙手一投足が、私以外の人間の人生を動かしている。大袈裟かもしれないが、私のこの一文を読んだあなたの脳ですら(それをどれだけ拒絶しようと)どうしても一抹の神経細胞がパチりと発火せざるを得ない。その時点で、大いに私はあなたの生きた道に影響を及ぼしているといえる。

これで充分だ。私が生きた証は、もうこの世界に残した。それが人生の目的ならば、生まれた時点ですでに達成されている。遺伝子配列の記憶を残そうと努力せずとも、私だけにしか残せない作用を身の回りに残してゆけばいい。そう思って一歩踏みだすと、背負っていた全てを置いていくことができた。


死は私のものではない

死を迎えることは、私本人にとっては意味がない。意識が無意識に還るだけで、睡眠と同じだと先ほど語った。

死は、遺された人々のためのものである。私がどんな葬式で弔われようと、どんな墓に入ろうと、興味がないし私の関与するところではないが、世界にまだのこる人々が納得するためにそれらの儀式が適切に設けられることに関しては文句がない。

ただ、余計な金を払って人を呼んで大々的な葬式をやるというのは私の本意ではない。金は死んだ人間に使うなら、生きた人間の血肉になったほうがいい。近親者のみが立ち会う、日本の法律上可能な最低限の葬儀で構わない。


これからの人生

さて、私はどうやって生きていこう。正直、もう子供の頃の夢(音楽を作ること、映像作品を作ること)は果たした。たくさんのいい景色も観たし、いい恋愛も終えた。生き方を見つけたし、同時に死に方も見つけた。体感時間で半分を超えたこの先の人生にあるのは美しかった記憶の再生産と、とてつもなく長い日々の繰り返しだ。義務も道標もなく、無限とも言える選択肢とその結果分かれていく世界があるだけ。

やはり私の信念たる座右の銘は今でもきちんと機能しているということだ。今日を生きている。ただ今日を生きて、いつの間にか死んでいる。ただそれだけ。

緩やかに漂ってゆく私の日々の備忘録。その一端を、これからもこの場所に書きつけておこう。

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