独学研究のススメ(自問自答と研究プロセス)

 独学研究のプロセスは非常に安易です。やろうと思えば、小学生でもできます。基本的な流れは、
 
 資料を探す→出典や証拠を押さえる→それを元に考察する→わからない点を見つける(自問自答する)→また資料を探す……
 
 という繰り返しです。研究の蓄積とは、この一連の流れを何百回も何千回を繰り返している状態にあります。

「研究者って頭がいいのね、物識りなのね」
 
 と世間では言うようですが、それは当然です(無論、クソみたいな知ったかぶり学者もいますが)。
 
 彼らは我々がまだウダウダしている間に、既に百回も千回も試行錯誤をしているのですから。いま筋トレ始めようという我々が、既に何千日と鍛え上げている筋肉モリモリマッチョマンに「いい身体をしていますね」と言っているようなものです。それだけ試行錯誤をしていれば、
 
 そして我々もまた、その仲間に入る事が出来ます。道のりの大小は個人個人によって違うでしょうが、へこたれずあきらめず自分の道を歩み続ければ、筋肉モリモリマッチョマン――ではなく、知識モリモリマッチョマンになれるのです。

「学者は頭がいい、元が違う」
 
 と諦めるのは簡単ですが、案外そんな事は無いのです。確かに、すさまじい記憶力や考察力、天才的なひらめきを持つ滅茶苦茶な天才・秀才は存在します。一方、そんな人は本当に一握りです。
 
 それこそ「プロ野球選手の平均は、大谷翔平みたいなもの」と言っちゃうくらいの極論です。
 そんな事言えば「バカ言え、幾らプロでもあそこまでの成績は上げられねえ。あれは大谷翔平が天才だからだ」とかなんとか言われるでしょう。研究家にも同じことが言えます。それはどのジャンルでも同じことです。
 
 世にある研究者の大半は、己の知識不足や見識のなさに悲しんだり、怒ったり、資料や考察がうまくいかず悲しみながらコツコツと知識を蓄積し、それを展開しているのにすぎません。
 
 無論、それが展開できる事はすごい事なのですが、ある程度の領域に行けば、大なり小なりこなせます。
 
 何度も言いますが、「絶対に出来ない事」「絶対に辿り着けない」領域ではない事です。どんな下らない事でも、地道に積み上げていけば誰でも立派になれます。
 
 それだけは自分を信じてみてください。結果が違ったり、時にはうまくいかない事があっても、一切合切が無駄という事にはなりません。むしろ、その時判らなかったことが、後でトンデモナイヒントに繋がっている事も往々にしてあるのです。

別に学閥にとらわれている訳でも、義務感や仕事でやるわけではないのですから、好きなペースでやれば結構だと思います(ガチ目に学閥系の研究職狙っている人は、本気で勉強やなんやら頑張らねばなりませんが)。

「学ぶことを楽しむ」という事を実践できれば、それだけで十分すぎる程です。

その知識をつける為には、まず資料を読みこなして自説や証拠の補強を集めねばなりません。
 
「自分が考えたすごい仮説」「あったらいいなこんなこと」

こうした事は小説や漫画でやるべきで研究でやることではありません。
 
 昨今問題になっている小説家や文化人の勝手な史観、江戸しぐさや親学の伝統ビジネス、コロナや何やらの陰謀論などの根源を辿ると、大体これらの概念が関与しているようです。

キチンとした証拠や裏付けや論理的展開がないにもかかわらず、己の仮説(あるいは妄想)と知名度・拡散力のみで押し切ろうとする態度を見るにつけ、学問の敗北を目の当たりにしてしまいます。

大体、そうした妄想じみた仮説や主張は誰でもできます。幼稚園児でも小学生でもできます。よく考えてみると、それらを無鉄砲に信じるのは滅茶苦茶滑稽に見えます。

「伝統」「歴史」「真実」とかつくだけで、ありがたいものと信じ込んでしまうさまは、カルトじみています。如何に世の中が愚かしい事まみれとはいえ、こんなのに騙されてはいけません。

独学研究を行うと、そうした独りよがりの主張や陰謀論を回避しやすくなるというメリットがある事を付け加えておきましょう。
 
 兎に角文系研究における肝は「資料」「証拠・裏付け」「論理展開」に尽きます。この3つをうまく組み合わせながら、自分の長年の謎や知的好奇心を埋めていくのです。
 
 そして、この3つの概念に偏りすぎずに進む――というのが大切なのですが、それは後々申し上げましょう。

「大体のテーマは決まった、方向性も大体分かった。でも次はどうしたらいいのか」

 ここまで来たら、後は次の目的地を決めて出発するだけです。「証拠・裏付け」を見つけながら、自分が行くべき道へと進んでいきましょう。

 しかし、簡単に「進んでみよう」と言ってみせたところで、「どうやったらいいのか」という問題に直面しそうです。
 
 無遠慮に出発を勧めてみたものの、魯も櫂もなく地図もない船や乗り物に乗せられた日にはたちまち遭難してしまうでしょう。
 
 これを独学研究の世界で例えれば――
「難しい原本をいきなり読み出して挫折する」
「資料が見つからず挫折する」
「方向性を定めたがそこに進む資料や術がわからない」

 といったところでしょうか。

例を挙げれば腐るほど出てくるでしょうが、大体は――
「自分の今の知識量や情報量に比例しない資料や論文に手を出して挫折する」
「方向性を決めたけど、何を読めばいいのかわからずパニックになって挫折する」

 といった所が多い事でしょう。
 
 スポーツとか創作だと「まずは5キロ走れるようにする」「この絵を完成させる」という明確な目標を作りやすい。故にその目標に向かってひたむきに走り、結果として継続に繋がるようです(ドロップアウトする人もいますが)。
 
 一方、研究はそうした明確な目標は作りづらい。「この本を読んでみる」という目標を立てられなくもないですが、その資料がメッチャクッチャつまらなかった場合、相当根気のある人か義務感でもない限りは絶対に挫折します。

「労多くして収穫なし、骨折り損のくたびれ儲け」という事を何度も味わってしまうがために、独学研究の世界はやたら高嶺の花になってしまっている印象さえあります。実際そんな事はないのですが、初手から嫌な経験ばかり直面すると忌避感を覚えてしまう――そういった事も否定できません。

兎に角目標が立てづらく、「調べるって面白い」という領域までたどり着けないのが、独学研究の難しさであります。そんな負の積み重ね――冒険で言う所の、遭難や苦難苦闘の末に独学研究の世界からドロップアウトしてしまうこと(すなわち、いやになって研究をやめる)もあります。

そうならないためにはどうしたらいいのでしょうか。

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