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大山道シリーズ番外編、大山スサノオノミコト天降り伝承

大山道シリーズ番外編、これまで、

と、来ましたが、今回は、風土記に記載されていたわけではないんですが、大山道シリーズ、そして番外編シリーズを走っていて、非常に興味深い伝承を見つけましたので、その伝承に沿ってルーティングし、exploreしてみたいと思います。

その伝承は、井ノ口の蓑笠神社に残るものです。

ナント!!!

スサノオノミコトが天降った地が、大山だというのです。記紀では基本的に出雲国ですよね。

大山は別名、"雨降山" ですが、これは、"天降り" 山とも読むことができる、ということに因っているらしいのですが。

雨降山は、地理、地形的に、海からの雲が大山に当たる為、雨が降り易いという科学的根拠がある話なんですけどね。

大山に天降ったスサノオノミコトは、来る日も来る日も雨なのに嫌気が差し、雨の中、蓑笠姿で大山を山伝いに下り、井ノ口の蓑笠神社、当時は単に井ノ神様と呼ばれていた神社に一夜の宿を求め、翌日、快晴となった為に、ついつい、蓑と笠を井ノ神様に忘れ、その蓑と笠がご利益があったので、以降、井ノ神様は蓑笠神社と呼ぶようになったというのです。

その後スサノオノミコトは、やはり山伝いに、下吉沢の八剱神社を経由して、大磯の高来神社に向かったのです。

記紀では、スサノオノミコトは、出雲に天降った後、八岐の大蛇を退治し、クシナダヒメと結婚し、その後、もう話はオオクニヌシノミコトに切り替わって、いつの間にかスサノオノミコトは根の国に居て、オオクニヌシノミコトがスサノオノミコトを根の国に訪ねます。オオクニヌシノミコトは、色々と試練を与えられますが何とかクリアし、根の国を脱出します。この時、スサノオノミコトはオオクニヌシノミコトに対し、葦原中国の建国はお前に任せた、と言って、自分は根の国に留まるのです。

蓑笠神社の伝承では、八岐の大蛇に類するような伝承は語られていません。また、高来神社に留まったのか、その先、どこかに行ったのかも語られていません。留まったのなら、高来神社が根の国ということでしょうか。


大山から山伝いに南下したとなればそのルートは大山南尾根ですね。

大山→蓑毛越→不動越→高取山→念仏山→善波峠→弘法山→浅間山→弘法山公園入口

で、丹沢山塊は金目川で一旦途切れ、金目川を越えると再び大磯丘陵の山に上ります。大磯丘陵の尾根を山伝いに行って、下吉沢八剱神社、高来神社というルートですね。

大山南尾根は流石にパスして、秦野駅まで輪行、ここをスタートとします。

秦野駅の北口、龍門寺の東に、スサノオノミコトを祀る八坂神社があります。

御門八坂神社、牛頭天王社、小名御門ノ鎮守トス。例祭六月七日ヨリ十四日ニ至ル。槻樹(囲八尺三寸)ヲ神木トス。弊殿拝殿神楽殿等アリ。鐘楼、享保十二年鋳造ノ鐘ヲ掛。 末社、弁天、蘇民将来、稲荷。

先を行きましょう、戻りまして大山道で水無川、室川を渡り、大磯丘陵に上って井ノ口に向かいます。

天気予報は晴れだったんですけどね、昨夜までは。今朝起きたら曇りになってました。いつもの石塔群越しの大山ですが、流石は雨降山、今日も山頂は雲がかかってます。

上り切った所には嶽神社

嶽神社、御霊社、村民持、末社、天王、秋葉

境内掲示によれば、桃山時代には御霊社として崇敬されていて、明治になり、嶽神社に改名ということです。祭神は日本武尊、末に八坂神社もあり、スサノオノミコトと日本武尊揃い踏みです。

程無く、蓑笠神社です。

蓑笠神社、スサノオノミコトが一夜の宿を求めて井ノ神様を訪れた、ということは、それ以前からここに鎮座していたということになります。また、この伝承以降、祭神がスサノオノミコトになったということですが、じゃあ、それ以前の祭神は?!, ということになりますが、神社名からして水なんでしょう。水神様です。直ぐ東には葛川が流れ、湧水による厳島湿生公園もあります。

ここからの道筋ですが、山伝いに行くとなると、大住郡と淘綾郡の郡境と考えて良いのではないでしょうか。

蓑笠神社の東から丘に上ります。

事前机上exploreで当てにしていた一本実線荷車道古道はこの通り。少し先まで偵察に行きましたがちょっと無理ですね。迂回です。

迂回して丘に上るとこの眺望、晴れてればなぁ。

右端に大山、西に続く丹沢山塊

そして七国峠

七国峠からの大山

ゴルフ場で道は消失していますので、黒岩の辺りは迂回となります。池之神社からゴルフ場まではなかなかの侘び寂び感と上りで、上吉沢配水池の辺りで郡境に復帰です。郡境尾根から少し外れますが、鷹取神社に寄っていきます。

鷹取神社、826年創建、当時の名称は直下社。祭神は木花咲夜姫なので浅間神社かと。また、木花咲夜姫は大山阿夫利神社の祭神、大山祇命の娘ですから、父親の住む山から娘の住む山へとスサノオノミコトは下ってきたということでしょうか。

郡境尾根に戻って、、、ここがなかなか楽しかった。

猪に怯えながらも楽しみました。

日の宮神社です。

日の宮神社、祭神は大日霊貴命、天照大神ですね。しかし、直ぐ近くの立石が御神体のように思います。

そしてその、

立石、かなり大きいです。

今泉義廣著、むかしばなし 続・平塚ものがたり、より

大昔、日本武尊という人が大勢の兵士を連れ、駿河から相模へやってきた。大山から下を見渡したところ、南のほうの山で光るものがある。不思議に思い、その地・吉沢を訪ねると、人々が吉沢の山の立石という大石を巻いて根城にするおろちに害され困っているのだった。尊が見た光は、この大蛇の目が光ったところだったのだ。尊は村人の願いを受け、おろちを討つべく山へ入った。すると、白髭の老人が現れ、自分は山の日の宮という神だが、おろちに封じられ里人は害され困っている、と訴えた。土地の神まで困らせるおろちに尊は怒り、立石に向かった。すると、戻った日の宮を締め付け苦しめているおろちがいた。そこで尊はおろちの先祖・八岐おろちから素戔鳴命が得た剣・天叢雲剣を抜き、斬りかかった。天叢雲剣はおろちたちが見ると目がつぶれるという剣だったので、おろちは驚きあわて、立石の下の穴に潜り込み、二度と出てこなかったという。でも、おろちは立石を七回り半まわる者がいたら、穴から出てやると思っているので、立石は回ってはいけないといわれている。

私もついつい時々そうしてしまうんですが、日本武尊とスサノオノミコトを混同してしまう方、少なくないように思うんです。

日本武尊が先かスサノオノミコトが先か分かりませんが、分かっていることは、この辺りは古代東海道が走っているので、日本武尊伝承が多いですね。これを考えると、日本武尊伝承が、いつの間にか、スサノオノミコト伝承にすり替わった可能性もあるのではないでしょうか。

ゆるぎの丘からの大山の眺望

先を行きましょう、下吉沢の八剱神社です。

下吉沢八剱神社、日本武尊が東夷討征のとき御休憩せられ土民が歓待し命が大に感激され後に社が建てられた由。天正19年(1591)11月徳川家康公より社領高1石5斗を寄付され、明治3年上地、明治6年村社に列せられる、同字台の八坂神社、日ノ宮神社、山入の八坂神社、神戸の八坂神社合祀する。

ということで日本武尊は先程の立石で簡単な休息した後、ここ下吉沢八剱神社で本格的な休憩をしています。合祀した八坂神社も多いですね。

益々、元々は日本武尊伝承だったものが、スサノオノミコト伝承にすり替わっていった感じがしてきました。

丘を下り、がんまん川を渡って出縄の丘に再び上りますが、ここに、また、八剱神社があります。大山道exploreでも訪問してました。再訪です。

根坂間八剱神社、創立年代不詳だが、平安末期より旧根坂間の総鎮守として鳥居戸に鎮座し八剱明神と称した。祭神は日本武尊。

尚、境内社に八坂神社もありました。

境内社の八坂神社

その後、丘を下って高麗山の北麓を東へ。ぐるっと回り込んで高来神社です。

高来神社と御神体の高麗山、この建物は嘗ての高麗権現社の観音堂
こちらは御神輿堂と高麗山
こちらは嘗ての地蔵堂と高麗山

如何でしたでしょうか。

立石の伝承を見ると、日本武尊が大山から立石に来ていて、下吉沢八剱神社の伝承を見ると、日本武尊が来ていますから、日本武尊は、大山→立石→下吉沢八剱神社と来ていることになります。

一方、蓑笠神社の伝承では、スサノオノミコトが、大山から蓑笠神社に来ています。

スサノオノミコトと日本武尊は混同され易いこともあって、この2つの伝承が合わさったのではないか、そう、想像します。

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