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浅川口大山道
大山道シリーズ、これまで、
と、来ましたが、今回は、浅川口大山道です。
浅川口大山道とは、甲州道中の浅川を起点とした大山道のことですが、甲州道中の浅川とは、
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この地図をご覧頂いてお分かりの通り、今、"高尾" 駅と呼ばれている駅は嘗て、"あさかわ(浅川)" 駅と呼ばれていました。
この辺りは、"浅川" という地名だったからで、甲州道中のここで接続する大山道だから、浅川口大山道と言います。
道筋は、甲州道中と町田街道との接続点から、町田街道あるいは旧町田街道(以下、(旧)町田街道), 大戸、川尻八幡宮、津久井道の原宿、鮎釣街道、相模川の小倉の渡しで、ここからはナント!!!陸路ではなく相模川を船で下り、田名、あるいは当麻、磯部の渡し付近で、八王子通り大山道、あるいは府中通り大山道から大山に向かっています。今回船には乗れないので、崖線上の古道を行きますが。
しかし、
高尾から大戸までの(旧)町田街道は、横山党シリーズ、
絹の道シリーズ、
で、走ってますし、磯部、当麻は、武田信玄小田原攻めで走っていて、新鮮味に欠けます。
さてどうするか。
浅川口大山道、で、検索すると、頻繁に出てくるのが高尾山大山道です。大山橋もあり、古地図を見ると薬王院から大山橋、455mピークを経て、南東の尾根伝いに梅木平に向かう道のようです。
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梅木平からは草戸峠を経由して大戸に向かい、浅川口大山道に接続します。
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この道は、逆向きでしたが大戸から草戸峠へは行ったことがあります。
が、高尾山から草戸峠までは未踏破です。薬王院から梅木平まではさすがにチャリは憚れるので、梅木平から東を行きましょう。
◆□■◇
高尾駅まで輪行、甲州道中と町田街道の交差点、ここが浅川口大山道の起点です。
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このまま畠山重忠も通った(旧)町田街道を南下するのが浅川口大山道ですが、今回は上記の通り、R20を梅木平まで。
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梅木平林道に入ります。
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程無く、東の尾根へ上がる道との追分に大山道道標がありました。やはりそうでしたか。確かに、この道は、高尾山からの大山道だったんです。
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東の尾根に乗り、
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草戸峠から、
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境川の谷に下り、境川を下り大戸です。
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大戸観音堂にも、"西 高尾山近道" の道標が。
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浅川口大山道に復帰です。
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神奈川県道48号線鍛冶谷相模原線を行くと相原堺松風橋線との交差点に大山道道標を兼ねた馬頭観音がありました。
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先を行くと川尻八幡宮です。
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また、浅川口大山道と参道線との丁字路にも大山道道標がありました。
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先を行きます。原宿で、津久井道と出合いますが、そこにもお不動さんが乗った大山道道標がありました。
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先を行きます。GoogleMapsでは、ここからは、鮎釣街道とありますね。
新小倉橋を跨ぐ手前で、崖線下に下りる道があります。古道が残っているんです。
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神奈川県道510号線長竹川尻線まで下り、明王坂を更に下り、ここにもショートカットする古道が残っています。
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谷津川と相模川の合流点に、お不動さんの座像があり、ここが小倉の渡しです。実際は、ここから対岸に渡り、河岸場から乗船したようです。
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はい、船には乗れないので、ここからは相模川が作った河岸段丘の端っこの古道を田名まで行きます。
鮎釣街道の崖線下に下りた地点まで戻りここからリスタートです。大島の集落に行くと、諏訪明神があります。
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覚心師によって永正年間(1504年〜1521年)に創建と伝えられると共に、延喜式の石楯尾神社の論社でもあります。
その先、大島坂の下り口に祠があり覗いてみるとナント!不動明王が!いやいやこれは期待してなかったので嬉しい!
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大島の東寄りには1157年に再建され、その際、10歳だった頼朝が松を植えたとの伝承が残る日々神社があります。
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ここら先は大山道との関連を示すものも無ければ、諏訪明神のような特筆すべき古社古寺も無く田名に到着です。
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田名に着いたら宗祐寺の脇を下り、集落の中心部には799年創建とも言われる八幡宮があります。
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そして今日のゴール、高田橋、久所の渡しです。
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しかし、大山道には、"くぞ" という地名が多いように思います。六本松通り大山道でもありました。五所八幡宮のある所です。
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如何でしたでしょうか。
梅木平林道から東の尾根に上がる古道、道標を兼ねた地蔵も残っていて、ここをexplore出来たのは非常に良かったです。
が、この道はチャリ付きだと相当にキツカッタですね。お勧めはしません。
しかしその後小倉の渡しまでは道標が続いていて時空を超えたexploreが出来ました。
期待してなかった、相模川左岸河岸段丘edge古道に不動明王があったのも嬉しかったです。
これまでご紹介した柏尾通り大山道と田村通り大山道、六本松通り大山道、保土ケ谷通り大山道は東海道を起点とした大山道でしたが、甲州道中を起点とした大山道もあったわけですね。
そう考えると八王子通り大山道も甲州道中の八王子口が起点、府中通り大山道も甲州道中の府中口が起点の大山道ということになります。
帰りは八王子通り大山道で橋本まで戻りました。
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